ベッドインアルコールワールド

※ハイキャリ既婚者モブ男×大学生三井
※ゲイの三井がこっそりと流川の事を想っていた描写があります
※本当に非常識な男が出てくるので何でも許せる方のみでお願いします





 昼休みの大講義室は、昼食をとりながら笑う楽しげな学生たちの声高い話声が飛び交っている。スマホを見ると、昼の講義までまだ三十分ほどあるようだった。


 着ていたアウトドアパーカーを脱ぎ横の椅子に置くと、机につっぷした。机に頬を付けて横になると、古く使い込まれた大講義室の長机の木目が焦点が合わずぼんやりと霞んで見える。「三井、どうしたんだよ」と、ゼミが同じ学生に声をかけられる。「徹夜でゲームしてた」なんて適当な返しをすると、自業自得だと笑われた。

 昨日、一昨日と寝不足が続いていた。


 何の所為かなんて、本当の理由はこんな真昼から言えない事ばかりだった。
 午前中は頭がぼうっとして、講壇の上でしゃべる教授の言葉が右から左に通り抜けていくだけだった。午後の講義終わりで部活が始まってしまう。まだ休みが三十分ほどあるなら、少し仮眠した方が良いかもしれない。固い机の寝心地は良くないものの、目をつむるだけで幾分が体力が回復していくような気がする。今日は確かゲーム形式の紅白戦を主にするはずだ。学生リーグの一部入りを果たしているバスケ部は、レギュラー争いも過酷だ。体力を温存しておかないと、練習の最後まで持ちこたえられそうになかった。

 三井がそうやって、すうっと浅い眠りに入る瞬間、後ろに座っているらしい女子大生の話声が耳に入っていた。目を閉じている分、聴覚が鋭くなっているのかもしれない。

――やめなよ本当にさ。ちゃんとした恋愛しなきゃダメだって。あっちは奥さんいるんでしょ?ヤバいってそんなの
――でも好きだし……。あと美味しいゴハン食べさせてくれるし、ブランドの鞄買ってくれるし。身体がすり減るわけじゃないから大丈夫だって
――使い古されてる言葉言うけどさ、心はすり減ってるって言ってんのよ


 よくある不倫関係にある友人を非難する声。心配半分と苛立ち半分の声色には、呆れた色すらある。明け透けにそういった事を友人に話してしまえる楽観さが、羨ましかった。


(……オレも心はすり減ってんのかな)

 緩慢にまばたきをして、ぼんやりと目を開ける。視界に入った最新のアップルウォッチは、先週末にプレゼントされたものだった。バスケしてるならスポーツタイプが良いかなと思って。そう言って微笑んだ背広姿の贈り主をふと思い浮かべて、小さくため息をついた。


(もう、すり減ってるのかすら分かんねえ)

 摩耗した心は痛みを訴えず、知らない間にずるずると腐り落ちていくのかもしれない。


ベッドインアルコールワールド






「ごめん、待たせたね」
「オレもさっき来たところだし、大丈夫」
「急に会議入っちゃって、まいったよ」


 大学生も忙しいもんね、特に三井君は体育会系だし。そんなことを言いながらその男は笑った。質のいいマフラーとコートを脱いでハンガーにかける後ろ姿を、ベッドのへりに腰掛けながら曖昧に頷く。

 本当は部活が終わってから急いでシャワーを浴びて、二時間前にチェックインして待っていたなんて、到底言えなかった。営業部のエースらしい彼の仕事量は、学生の自分が想像できないほどあるのか、それとも詭弁(きべん)なのかはわからなかった。
 フォーマルに整髪料でセットされている髪は色素の薄い自分と違って黒々しく艶やかで、ふと高校時代を思い出した。

 この男と同じような髪の色をして、学ランと前髪を湘南の海風にさらして目を細めていた年下の男。「また赤点取っても知らねえぞ」とからかうと、「センパイに言われたくない」と可愛くない言葉を紡ぎながら、彼の太陽に梳ける長い睫毛が美しいと思った。


 願わくばその腕に抱きしめられてみたいだなんて、こんな卑しい自分を隠そうと必死で年上面をつくろった日々。この時間が永遠であれと、叶いもしない願いを何度も心の中で繰り返した。

 その想いが成就することはないと分かっていて、彼の面影がぼんやりとある年上の男を選んだ。心はさておいて、さみしいと、人肌恋しいと訴える身体を一度だけ満足させてやるだけでよかった。


 左手の薬指に指輪が嵌められていることくらい、最初に会った時から分かっていた。それなのに、『この男で良い』と妥協して関係を結んだ男に、いつのまにか心も縋っている。


 いつからこうなってしまったのか、三井にはもう思い出せない。


「……いきなり、ヤんの?」
「情緒とか必要ないって、最初に三井くんが言ったじゃないか」


 乱暴に脱ぎ散らかされた革靴、広いベッドの上に三井を縫い付けるように押し付けて、その男は器用に左手でネクタイを緩めていく。ふいと顔をそむけると、微かに男が笑ったのが空気で伝わってきた。
 性急にシャツを脱がされて、脇腹から背中にかけて手が這いまわる。胸の尖りを指のはらでなぞられるたび、心とは裏腹に身体は熱くなっていく。それでも三井の最後の理性の欠片が、その手をやんわりと制した。昼間に耳に入って来た女子学生の声が、頭の中でぐわんぐわんと反芻していた。


「アンタさ、奥さんいるだろ」
「……ん?」


 じっと男の瞳を見つめる。首をかしげる表情は、表面的には優しそうな風貌に見えた。


「一昨日も、昨日も……今日も。オレとこんなことばっかりしてていいわけ?……っ、ん……」


 言い終わらないうちに耳たぶを舐められて、思わず感じ入った声が漏れ出てしまう。反応に正直な身体が、搔き毟りたくなるほど腹立たしかった。耳元で、掠れた低い大人の声が響く。


「しらけるじゃん。そんなつれないコト、言うなって」
「……っ」


 するり、と左手で頬をなぞられ、薬指に嵌められたままの指輪が顎にあたった。永遠を約束したはずの指輪の裏には、愛しているはずの妻のイニシャルが彫られているのだろう。


 三井はぐっと唇を嚙みしめた。


 ずるい、ずるい。

 そんな優しい手で自分に触れるくせに、その指輪は絶対に外さない。こんなことやめようと思うのに、抗えない自分の弱さが許せなかった。
 好きだ、愛してるとまやかしのように嘯(うそ)ぶかれる言葉は、身体をゆっくりと巡っていく甘い毒だ。いつか全身に回って、動けなくなってしまう気がした。

 どうせなら、もっとひどいセックスをしてくれたならよかった。もっと痛くて、激しくていい。身体だけを求めた関係なら、それ相応の扱いをしてくれればよかった。それなのに、この男のセックスは、三井が泣いてしまうほど優しくて丁寧だ。
 熱さで蕩けそうになる腰を撫でさすり、耳元で仮初の愛を囁き、決して自分本位だけでなく、相手の事を十二分に考えてくれるセックスだ。でも、そうやって抱かれるたび、火照った身体と相反するように心は冷え切っていった。

 この手つきで愛する妻を抱いているんだろうか。自分とホテルで別れてそのままの身体で、何食わぬ顔をして家に帰って、温かい夕食が用意されている部屋で長い髪の毛を慈しむように撫でているんだろうか。それなら、どうして自分なんかを抱くんだろう。こんな不毛な関係、もうやめてしまいたい。

 そんな言葉がぐるぐると巡り廻って、今日も言えずに胎の奥へぶちまけられる精液と共に沈んでいく。
 男の舌は、ほろ苦いウイスキーの味がした。




□□□


 ホテルを出ると、あたりはすっかり夜更けの繁華街の装いになっていた。ふうと白い息を吐くと、その息は為すすべもなく、酒と煙草と油でよごれている空気にとけていく。まるで自分みたいだな、とぼんやりと思った。


 隣の男がスマホの画面を操作している。自分といる時には妻に連絡をしないというのが暗黙の彼のルールらしく、それなのに彼が忙しなく液晶画面と向かい合っているのは珍しかった。


「何?仕事?」
「いや、このあたりに花屋さん無いかなってね」
「……花屋?」
「今日、結婚記念日なんだ。花束でも買って帰ろうかと思って」

 さっきまで隣にいる自分に愛をささやいた口で、なんの罪悪感もないような顔で、照れくさそうに笑う。
 泥酔した酔っぱらい、散乱したゴミ、水たまりにポイ捨てされた煙草。きたないものがたくさん転がっているこの街の中で、こんな男のことを心底嫌いにはなれない自分が一番、醜いと思った。


「……へえ、喜ぶんじゃねえの。女ってそういうの好きだろ」


 心にもない言葉が、自分の口からこぼれていく。
 色とりどりの薔薇の花束を片手に、街のネオンに照らされて時計を見る姿。そんな仕草すらサマに見えて、つい目線で追ってしまう自分自身が腹立たしかった。










end