【仙三】プロポーズ

 渡された缶コーヒーを両手で握る。噴水のへりに腰を下ろして、三井は開けられたプルタブをじっと見つめた。自分の後ろからは心地よい流水の音が聞こえてくる。昼間の喧騒と取って代わって、夜の公園はひっそりとした静けさを保っていた。

 今日は楽しかったな、と思う。
 「免許取り立てなんです」なんて言いながらも、まったく危なげもなく滑らかに運転する仙道の車の助手席に座った。海岸線の道路で潮風を感じると、普段の毎日から抜け出したようにリフレッシュした気持ちになれた。


 運転席側を見ると、穏やかな顔でハンドルを握っている仙道と目があった。袖を捲られたシャツから覗く端正な筋肉がついた腕に、少しだけどきりとしてしまう。照れくささのあまり、すっと目をそらしてしまった三井をどう思ったのかわからないが、仙道が静かに笑ったのが空気で伝わってきた。 
 三井の借りているマンションまで送るという仙道に対して、運転で疲れているだろうからここでいいと言ったら「俺が、三井さんを送りたいんですよ」なんて言われたので、少しここで休憩を取ったのちに、言葉に甘えて家の前まで送ってもらう予定だ。
 夏が通り過ぎた今、夜が更けた外の空気は肌寒い。温かい珈琲の缶で手を温めていると、肩に見知った香りのするジャケットが掛けられた。
「……お前が寒くなるだろ」
「三井さんが風邪を引いたら俺が困りますから、ね?」
「…………」


 そうやって言えば、自分が何も言えなくなってしまう事をこの男は分かっているのだ。仙道は優しい。それにどうしても甘えてしまう。素直にありがとうの一言も言えない自分にいつか愛想をつかされてしまうのではないか、そんな後悔は何度となくしているのに、どうしても喉まで出かかった言葉が口に出せない。ほとほと、自分の不愛想さに嫌になる。


 そんな時だった。三井と仙道が休憩をとっていた公園の入り口あたりからにぎやかな声が聞こえてきた。そちらを見ると、黒いスーツに白いネクタイを締め、引き出物の入った大きな紙袋を持ったほろ酔い風情の男が数人楽し気に歩いている。どう見ても結婚式の二次会帰りである装いの彼らは、友人の幸せを素直に喜んでいるようだった。
「結婚式、か……」
 ぽろりとこぼれた言葉に、仙道が静かにこちらを向いた。
「三井さん、結婚式とか憧れあります?」
「いや……あんまり実感わかねえな。まだ学生だしよ。……お前は?」
「俺ですか?俺はそこまで結婚に興味が無いですね」
「……へえ」
 三井はどういう表情をしていいのか分からなくなる。結婚に興味がないということは、自分と付き合っているから気を遣っているからなのか、そもそも誰かと一生を共に過ごしたいという気持ちがないということなのか。前者であっても後者であっても、三井としては大手を振って喜べる答えではない。だからといって、「結婚願望あります」と言われてもそれはそれでショックを受ける気がするのだが。改めて、同性同士でずっと共に過ごしていく難しさを感じてしまって、少しだけ心がちくりと痛んだ。


「俺は、結婚っていう通過儀礼……みたいなモノより、それからその人を幸せにしていけるのかどうかの方が大切だと思っているので」
「……ああ」
 俯きながら三井は投げやりに頷く。公園の古くなった蛍光灯に照らされた自分の影をぼうっと見つめていると、その影が大きな別の影と重なった。顔を上げると、そこにはいつもより少しだけかしこまった顔の仙道が立っている。
「仙道?」
「……俺は……だから……」
 柄にもなく少し緊張した面持ちの仙道が一呼吸置いて拳を握ったのを、三井はまるでドラマのワンシーンを見ているような気分で見つめていた。
「俺は……三井さんを一生かけて、幸せにしたい……です」
「仙、道……」


 どんなプレッシャーのかかった試合だって、飄々と余裕な顔をしている仙道のこんな顔を見たのは初めてだった。仙道の言葉尻が、少しだけ震えている。


(こんな男でも緊張するんだ……俺に、こんな……プロポーズみたいな事を言う為だけに?俺の……為に……?)


 そう思った瞬間、三井は心の奥底がぎゅうっと締め付けられる甘い痛みに、くしゃりと顔をゆがませた。その顔を見て、仙道が驚いた顔をしているのが見えたけれど、せりあがってくる涙のせいで、視界がすぐにぼやけてしまって見えなくなってしまう。

 好きだ、この男の事が。たまらなく愛おしい。
 自分には勿体ないくらいの男の事が、自分には勿体ないと思うのに、どうしても手放せない。

 テレビの中では、告白を受けたヒロインたちは皆綺麗に笑って嬉しそうに頷いていた。なのに自分は、こんな風に不細工な顔をしてぼろぼろと泣くことしかできない。
 バックパックに閉まっているタオルハンカチを取り出す余裕もなく、鼻水をずずっとすすりながら、三井は自分の服の袖で涙を拭った。そしていまだ自分の前で心配そうに様子をうかがっている仙道の顔を見上げる。
「三井さん、大丈夫……?」
 優しく名前を呼ぶ、その声が大好きだ。たぶん顔面は涙と鼻水でぐちゃぐちゃの散々なことになっているけれど、これだけは目を合わせて、伝えないといけないから。


「っ、一生……かけて、幸せにしねえと許さねえからな……っ」
「……俺の勝手なひとりよがりな予想じゃなけりゃ、それは……そういう意味で捉えていいんですか……?」
「そういう意味で捉えろ……ばか」
「っ……三井さんっ……!」
 大きな身体に抱きしめられて、三井は胸のあたりに顔をうずめる。
「おれも、好き……仙道、のこと……」
「うん、分かってます。三井さんの好き、一番俺が良く分かってるって自負してるから」
「……ほんとキザなこというよな、お前……」
「そんな俺の事はきらいですか?」
「……ばーか、すき……だよ」


 幸せに震えた吐息を漏らして、三井はそっと仙道の背中に手をまわした。

END