体育祭

 校庭のスピーカーから流れる賑やかなBGM、ホイッスルの音や生徒の歓声が遠くに聴こえる。
 砂埃が舞うグラウンドの中心から遠く離れたこの場所は、昼寝に絶好のスポットだ。

 大きな木の幹に背を預ける。秋晴れの空、秋風にそよそよと揺れる枝葉が心地よい影を作ってくれていた。そこに腰を下ろすと、三井はクラスメイトの女子に強引に巻かれたハチマキを外して小さく溜息を付いた。

 去年まではグレにグレまくっていた為、体育祭など顔すら出さなかったけれど今年は別だ。
 昼休憩のあとはユニフォームを着ての部行進があるし、そのあとは部対抗リレーも予定されている。
 部対抗リレーは別に紅組に点数が入るわけでもない。紅白はもちろんのこと、クラス対抗のポイントになるわけでもない。それでも、負けるのだけは絶対に嫌だ。そういう反骨精神の塊のような男ばかりが集まるバスケ部が部対抗リレーに本気にならないわけもなく。昨日は普通の練習終わりにバトンパスの確認をしたくらい本気なのだ……特に新キャプテンの宮城が。(宮城のスパルタ熱血キャプテン論は三井も思う所はあるがあまり口を出すのも本気で嫌がられそうなので最近は黙っている)。


 勿論三井自身も負けるよりは勝ちたいのだが、如何せん炎天下の中ずっとクラスの待機場所に座っているのは疲れてくる。そこで、ここに退避してきたというわけだ。
(まあ、ちょっとだけならサボってもいーだろ)
 三井が静かに目を閉じた、その時だった。


「センパイ、こんなとこで何やってんの」
 不躾なほどに敬語を覚えないその声の持ち主が誰かなんて、すぐに分かった。分かってなお、それでも狸寝入りを続けていると、再び「オイ」と少しだけ語尾を強めた声で呼ばれる。
「……オレの眠りを邪魔する奴はなんびとたりともナントカカントカ……」
 前に堀田達から聞いた彼の名言で茶化すと、憮然とした表情で返される。
「それ、オレのセリフ」
「てかさ、お前、その前に先輩に敬語使えってお前は何回言えば分かんだよ」
「敬語ちゃんと使ってる、……です」
「下手くそか」
 取ってつけたような語尾に思わず小さく吹き出してしまうと、ムム……と何か言いたげな表情でじっと見つめてくる。
「キャプテンが、昼前にバトンパスの最終確認するって。アンタが三年のクラスの所に居ないから探してこいって言われた」
「あいつ本当に燃えてんだな……リレーのバトンパスよりシュートの精度上げろっての」
 昨日から半分陸上部なのでは?と思うほどリレーの練習ばかりしている。この場所に居ないのをいいことに軽く揶揄うと、流川も小さく頷いた。
「外から点入れてくるガードは強い」
「今のオフェンス力じゃ冬選抜は勝ち抜けねえかもしれねえからな。オレ達も気合入れないと」
「でもまずは今日のリレー。やるからには何でも勝つ」
「まあな~確かにそうなんだけど……直射日光が暑すぎてよ……」


 蒸し風呂みたいな体育館の暑さには慣れていても、ぎらぎらと焼け付くような太陽の暑さには慣れていない。自分のスタミナの無さも相俟っているのかもしれないが、今の三井は勝利の為のバトンパス練習よりも体力温存するほうに気持ちが傾いている。そんな三井に流川は小さく鼻を鳴らした。
「部対抗リレーでオレ達バスケ部が一位を取ったらきっと安西先生も喜ぶ」
「……まあ、確かに……」
「センパイは先生に喜んでほしくない?」
「そんなわけねえだろ!安西先生の為なら……オレは何だって!」
「じゃあ、安西先生に喜んで欲しいならオレと一緒に来て」
「…………」
 恩師の喜ぶ姿を撒き餌に釣り上げられたような気がして、何となく腑に落ちない所はあるものの、三井は渋々頷いた。


 三井が寝転がっていた木陰に入り込んできた流川は、どんと仁王立ちをして見下ろすようにこちらを覗き込んでくる。葉の隙間から差し込む太陽の光で、紺碧の髪がやわらかく日に透けている。睫毛の長い凛とした瞳。端正に整った鼻筋。
(本当に黙ってたら整った顔してんだな、こいつ)
 そんなことをぼんやりと思う。黙っていたら……というのは、三井のちょっとしたプライドが素直に認めたくないと心の中でへそを曲げているからである。と、そんな事を考えていると、ふと流川の姿が朝と違うことに気づいた。朝に巻いていたハチマキの色と、今巻いている色が違っている気がする。


「そういえばお前、白組じゃなかったっけ?」
「……さあ?」
「朝の開会式でバスケ部集まった時に、お前……白組だった気がすんだけど……あれ?オレの勘違いか」
 三井は紅組で、流川は白色のハチマキを手に持っていた気がした。ああ、白組っぽいよなアイツ。なんて無作為に分けられているはずの紅白分けに対して謎に納得してしまったのだが、見間違いだったのかもしれない。
「センパイの気のせい」
「そーか……?ま、何でもいいけどよ」
「早く用意して」
「へいへい、うるせー後輩だなホントに」

 三井は知らない。


 開会式の前に見かけた三井の髪に巻かれた赤いそれを見て、内心少しだけ落胆した流川の心の中のこと。
 同じクラスの石井の持つ赤色のハチマキをじっと見つめ、「……替えて」と短い言葉ながら断固として引かない交渉をしたこと。
 クラス内で白組だった女子達が、私も紅組に替わるとひと騒動あったこと。
 『キツネお前も天才と同じ組になりたかったのかガハハ!』等と挑発され朝から小さい喧嘩沙汰を起こしたこと。
 三井を探しに行こうとしていた宮城に『自分が行く』と挙手したこと。

「おい流川、お前が急げって言ったんだろ?置いてくぞ~」

 グラウンドのほうからまた甲高い歓声が聞こえる中、三井の背を追いながら流川はこっそりと頬を緩めた。

END