自分は本当に馬鹿な男だと思う。
西日が差し込んだ和室。今日は晴天だったから、きっと夕焼けも綺麗なんだろう。差し込んでくる光は、周りをオレンジ色に染め上げている。
軽く身じろぎをする為に横を向くと、三井の頬を少し痛んだ畳が擦れて、ちくっと痛んだ。
十畳半くらいの、畳が敷かれた旅館の寝室に二人きり。すうっと息を吸いこむと、青臭い畳の匂いと、つい先程淹れた煎茶の匂いが鼻孔をくすぐる。
しゅるり。
浴衣の紐がほどける衣擦れの音に導かれるように、三井は自分の上に居る男の姿を捉えた。
自分を押し倒すような格好ををしているくせに、その表情は今にも泣きだしそうだ。そんな顔は、山王戦の後半でも見たことが無かったなあ、なんて、三井はぼんやりと考える。
まるで押し倒されているのが自分ではなく、他人事のように、ぼんやりと。
「流川」
小さく名前を呼んでやると、ぴくりと肩が震えた。その身体は、何かにおびえるようにこわばっている。少し生意気な所もあるけれど、バスケに対しては誰よりも真剣で、真面目で。不器用に前だけを見据えて進んでいくあの当時十五歳だった少年。大人でも子供でもないその年頃の彼にどうしようもなく惹かれた事を、まるで昨日の事のように思い出す。
流川の隣は、ひどく居心地がよかった。自分が与えるのもをすべて享受してくれ、それ以上のものを自分に与えてくれる。
不器用だけれど、まっすぐな優しさは、ぬるま湯のようにやんわりと自分を包んでくれる。この時が、永遠であればいいのにと希(こいねが)ってしまうほどに。
けれども、自分はもう知っている。この世界に、永遠なんて無いのだ。
いつかこの優しさも、このぬくもりも失ってしまう。そう考えた時、身震いがするほど、それがおそろしいものだと自覚してしまった。
なんの前触れもなく失ってしまうものに、もう自分は耐えられない。
だからこそ、自分から離してしまおうと、そう決めたのだ。
「……最後の思い出になんか、させねー」
「流川……」
流川の顔は、夕陽が差し込む逆光でよく見えづらい。けれども、自分に覆いかぶさった彼の両手は、ぶるぶると震えていて、その様子が、彼の心情をすべて物語っているような気がした。
「流川、これが最後なんだ」
「何で、そんな……勝手に決めつけてんだ」
「俺が最後だって決めて、お前と此処に来ようって決めたから」
「…………」
窓の外には、夕暮れに染まった波止場が見えて、大きなカモメと小さなカモメが寄り添ってのんびり飛んでいるのが見えた。
流川の黒髪が夕陽に透けている。綺麗だな、と純粋に思って手を伸ばそうとすると、その手首をぎゅっと強く掴まれた。
「先輩は……っ」
「……なんだ?」
「先輩は……っ、ずるい……」
「……ああ」
「ずるくて……自分勝手すぎる、だろ……こんなのっ」
「うん…うん……」
嗚咽をこらえ、喉から絞り出すような彼の声を聞いて、何故か三井はほっとしていた。
ああ、このまま怒ってくれたらいい。
このまま、俺を嫌いになってくれたらいい。
こんな我儘な奴。なんで好きになったんだろうって思って、離れてくれたら……それでいい。
「ごめんな」
「先輩は……っ、自分が傷つきたくないだけじゃねーか」
「うん、……ごめんな」
ぼろぼろと、自分の頬に涙の雫が落ちていく。それを拭って、三井は薄く微笑んだ。
ずるい自分は、流川が優しいことを知っている。 優しいから、今から離れていこうとする恋人に対して、自分の自我を通したり無理強いしたりは、きっとできない。
「……っどあほうだ……先輩は……」
「ああ……そうだな」
泣き崩れる彼の涙をそっとぬぐってやりながら、やけに落ち着いた感情のなかで、三井はひそやかに嘆息した。
END