翌日、ネットニュースは死ぬほど荒れた

「え、今から!?」

 そんな独り言をつぶやきながらも、私の手はスマートフォンに通知されたバナーを脊髄反射でタップしていた。

 ラブストーリーは突然に。推しのきまぐれは突然に。いつ何時でもあっても、推しがインスタライブをするなら、自分がどんな状況であろうと参加する。それが推し活というものだ。推しよりも大事なものはない。


 私は風呂上がりでビショビショの髪の毛をドライヤーで乾かすよりも早く、ライブに参加した。さすがに一番乗りは無理だったけど、ライブが始まるまでの、ぼうっとしてスイッチが入ってない推しを見るのは結構楽しい。

「お、すげ~もう参加してくれてる人いるんだな」

 ソファーに座ってミネラルウォーターのペットボトルを開けながらコメントを目で追いかけて笑う推し。シーズン中には見れない、少しリラックスした様子の推しも最高だ。 

 そう、私の推しはスポーツ選手。バスケットボールのプロリーグでSGとして活躍する三井寿――。
 それが、私の推しの名前だ。

 会社の同僚に貰った招待券で、何の事前情報もなしにバスケの試合を見に行ったあの瞬間から、私の運命は決まったと言っても過言では無い。
 美しいフォームから放たれるシュート。試合中、ここぞという時に決めてくれるスリーポイント(あとで同僚に聞くとそういう選手のことをクラッチシューターというらしい)。何よりも、どんなに自チームがかなりのビハインドで劣勢だったとしても一ミリも諦めようとしないその姿。絶対に負けに屈しないその背中に、大人になっていつのまにか忘れてしまっていた何かを思い出させてくれるような気がした。
 じりじりと追いつき、また離される得点差の中、第4Qまでもつれこんだ勝敗はワンポゼッション差に。
 大柄の外国籍Cの隙をかいくぐり放ったフェイダウェイが、試合終了のブザーと同時にネットに吸い込まれて逆転勝ちした瞬間、私は脇目も振らず観客席から立ち上がった。
 何なのこの気持ち。何なの、このあふれ出る感情……。こんな衝動的に何かしたいって気持ち、まだ私の中にあったんだ……。
 逆転勝利で大盛り上がりのアリーナの中、私は両手を上げながらいつのまにかはらはらと泣いていた。

 ……と、まあそんなわけで。その一戦で一目惚れをした男子中学生のごとく、三井選手を推しにすることを心に誓ったのだった。

――オフシーズン何してるの?
「今?身体のメンテナンスしつつ、少しずつコンディションも調整してる」
――契約更新うれしい!
「ありがとな!また一年間、チームの応援よろしくお願いします」

 滝のように流れるコメントをきょろきょろと目で追い、一生懸命拾って返してくれるその姿は、試合中とは打って変わってなんだか可愛い。推しはどの瞬間だって、顔面の最高画質で私の目を癒やしてくれる。
 ……そう、推しは顔も良いのだ。こんなにもプレーで魅せられて推しにさせてもらってから、私は気づいた。待って?この人顔もメチャクチャ良い。今まで気づいてなかった私、何??と思うくらいには顔が良い。そんじょそこらのモデルよりも顔が良い。

 動揺した私は、三井選手の大学時代、そして高校時代の情報もリサーチした。一番古そうな動画は、おそらく三井選手の高校最後のインターハイ。赤いユニフォームに身を包んでいる三井選手は、少しだけ幼い顔つきだったけれど、その端正な顔立ちは変わらず。恐ろしい……こんなの、中学とかミニバス時代はどんな天使だったっていうの?惜しくも現存して(そしてYoutubeで見れる動画)る中での最古は高三の動画だったけれど、それでもコレクター魂のある私の心は躍りに躍った。しっかりと、非公開で推しのリストを作って追加させていただきました。オタクなので、そういうところはぬかりなく。

 184㌢という恵まれた身長と、5㍍くらいある長い脚。オタクの誇張表現?はい、すみません。でも体感そのくらいはあるよ。
勿論、推しになったのは外見じゃないんだけど、外見が良いに越したことは無い。むしろ有り難い。有り難うございます……。 

――今日のインスタライブ何するの?
「あ~……次の開幕戦の宣伝しろって、広報から言われてよお~」

 今日のインスタライブの目的はそれらしい。広報に渡されたらしいメモを見ながら開幕戦の日時をアナウンスする様子に、コメントが「www」だとか「広報にこき使われてる笑」だとかでどんどん流れていく。私も負けじと「絶対見に行きます!」と打って投稿する。

「お、見に来てくれるのすげえ嬉しい。今年は絶対にファイナル行くから、最後まで付いてきてくれると嬉しいです」
 ……嗚呼、推し……尊すぎる。言われなくても、最後の最後まで、あなたがどのチームに移籍しようともついて行きます……。 



 開幕戦のアナウンスを終えて、なんとなく雑談ムードになっているライブの中で、何件かのコメントが目に付いた。

――カエデの熱愛報道どう思う?
――今でも流川くんと連絡とってる?

 『カエデ』も『流川くん』も同一人物だ。
 流川楓――。高校時代に三井選手と同じ湘北高校のチームだった選手。三井選手より二歳下で、当時高校一年生にもかかわらず、神奈川県のベスト5に選ばれたり、インハイでもエースと言われても遜色ない活躍を見せつけた。高校時代からファンクラブがあるほどのイケメン。
 私的には、山王戦の最後に三井選手と逆転勝利で抱き合ってるイメージが強くて、あんまり顔は覚えては無いんだけど……。今はアメリカの地で、本場NBAに挑戦している日本バスケ界の期待の星だ。

 熱愛報道というのは、どうやらインスタでかなりのフォロワー数を持っているインスタグラマー兼読者モデルとのことらしい。そのモデルの女が、なんとなく匂わせるような投稿をここ半年ほど続けているのは、私の耳にもうっすらとは入ってきていた。
 流川選手がNBAの試合に出る数日前に、アメリカ行きの航空券の写真を投稿したりだとか、これみよがしに、流川選手の所属しているチームの応援グッズとかを部屋にインテリアとして飾っているだとか何とか……。一方的な匂わせではあると信じたいものの、流川選手を推しているファンとしては心中穏やかではないだろう。

 私だって、三井選手がそんな匂わせ女と付き合ってたら泣く。
 いや、女と付き合っても全然良いし、むしろ付き合ってない方がおかしいことくらいは分かっている。自分が彼女になりたいとかは一ミリも無いけど、推しが付き合ったりいずれは結婚する女の人は、推しを幸せにしてくれそうな人であって欲しいというのがファン精神だ。推しを不幸にする(私利私欲の匂わせ)女は断固拒否したい……!  

 というか、三井選手のインスタライブなのに、他の選手のこと聞くのはルール違反では?と私は思っているんだけど、まあデリカシーのないコメントが流れるのもSNSならでは。きっと三井選手もスルーするんだろうなあと思っていたら、予想に反してそのコメントに対して、三井選手が反応を見せた。

「るかわぁ?へえ~熱愛報道とかあんの?センパイを差し置いてナマイキだなあいつ~!」

 三井選手の、ニヤニヤと笑いながら冗談めいた言葉に、コメント欄が加速する。

――なんか昨日も、『渡米して久々に会えるの楽しみ』とか言ってたよ

 相変わらず匂わせ投稿は続いてるらしい。そのコメントを拾ったらしい三井選手が首をかしげた。
「……あれ?アイツ今日本に帰ってきてるぜ?昨日会ったし。だからアメリカ行って久々に会えるやつってのは、流川じゃないんじゃねぇの?」 

 ……え?あれれ?そうなんですか?

 コメントも私と同じく「そうなの?」「まじか」「匂わせ失敗したってこと!?」「その話くわしく~!」なんて沸いている。
「昨日久々に会って飲んだなあ。二、三軒行って駅で別れたけど、アイツ今実家に帰ってんじゃねえかな?とりあえず日本には居るぜ」

 匂わせインスタグラマー、成敗――。
 バッサリと日本刀で斬られているその読者モデルも兼ねている女の顔が脳内で再生された。勧善懲悪……昭和から平成。平成から令和。どんなに時代が変わったって、悪役がバッサリと倒される瞬間っていうのはスッキリして健康に良い。ほら、暴れん坊将軍とかもそういうカンジだよね?長く愛されるのはそういう理由があるのかあ、なんて頭の中で思考が脱線していく。

 そんな私の脳内なんて露知らずな三井選手のインスタライブは、終盤を迎えているらしかった。恒例の「スクショタイムほしい~」のコメントを拾って、三井選手が苦笑する。
「オレなんかを毎回スクショして楽しいのかぁ?」
 完ッ全に楽しい。楽しいに決まってる。むしろコンマ一秒残らず残しておきたいから連続スクショで毎回親指が腱鞘炎みたいになりますけど?
 コメント欄が、やってほしいポーズであふれかえっている。
 私も拾われないのは分かっていてコメントを打ち込む。フリック入力をするためにキーボード画面を出して、一瞬ライブから目を離した瞬間、私のワイヤレスイヤホンから三井選手の悲鳴が聞こえた。

 それは「うわ!」だったのか「ぎぇえ!」だったのか分からない。でも何事か、何かアクシデントがあったのは確実だ。脊髄反射でスマホ画面の半分を占めていたキーボードを消して全画面をライブ画面にする。
 推しの有事は私の一大事だ!どうか無事であって欲しい!
 そんな思いは、画面を見た瞬間に五万光年の彼方先に消し飛んでいってしまった。 

 驚いてソファーからのけぞっている三井選手の隣に、半裸で……タオルを頭にかぶった完全に風呂上がりの流川楓が仁王立ちしてる…………。

 これは、えっと、その……どういうことなんでしょう。

 ライブのコメント欄もひっそりと静まりかえっている。誰もこの事態を把握できていないのだ。勿論、私も。
 だって、さっき三井選手が「流川は実家に帰ってる」って言ったのに、どういうこと?三井選手の家が流川楓の実家なの?いやそんなのあるわけないだろ。脳内でひとりボケとツッコミを繰り返してしまう。えっと、これって……。

「お、おいルカワ!お前なにカメラのコッチ側に来てんだよ!」
「配信、15分くらいだって言ったのに長い。いつまでやってんの」

 むすっとした様子の流川選手に、何故か私が萎縮してしまう。ご、ごめんね……?っていうか、私たちはなんで流川選手がココにいるのかが最大の謎なんだけど……それには答えてくれないのかな……?

「長すぎて先に風呂に入ったけど、出てきてもずっとやってるし。一緒に入るって言ったのに、センパイはうそつき」
「お前ちょっと黙っててくれねえかな!?」

 漫画のギャグシーンのごとく頭を抱えてる三井選手なんて、試合中でも見たことが無い。コメント欄がようやく息を吹き返したように流れていく。それも怒濤の量で。

――え?カエデがなんで三井の家にいるの?
――お風呂??一緒に????
――ルカワって実家に帰ってるんじゃなかったっけ……
――流川楓の上半身ヤバ!?

「大人しくしとけって言っただろ!?」
「今も大人しくはしてる。センパイにいわれるまで何も喋らなかった。でも先に約束やぶったりウソついたのはセンパイ。なんでオレがセンパイの家にいること隠すの?」
「それ、っ……は……」
「15分っていう約束やぶるし、ウソつきのセンパイはこう」

 私たちが最後に画面越しに見ることができたのは、流川楓に肩を押された三井選手。カエルの鳴き声みたいな声を上げて倒れる三井選手と、それを押し倒す流川選手。
 振動でずれ落ちるスマートフォンは天井のシーリングライトを画面上に映した。数秒「やめ、ろって!」「やめない」「まだ配信止めてねえんだよ!!」「早く切って」なんて音声だけが拾われた後、余韻も何もなくブチッと切られた配信。

 グレースケールの画面に〈配信は終了しました〉と無機質な文字だけが映っているその画面を、私は数十秒間見つめたまま固まることしかできなかった。

 えっと……今のって現実……?夢だよね、うんきっとそう。私はフラフラとおぼつかない足取りでベッドに倒れ込んだ。あまりにも推しを推しすぎて変な夢を見ちゃってるだけ。きっとそう。……寝よう。


翌日、ネットニュースは死ぬほど荒れた。




___________________

□私……純粋な三井選手のファンだったはずなのに、何かにのめりこみそうで怖い。その扉はパンドラの箱に違いないじゃないですか?

□三井寿……読モ兼インスタグラマーな流川楓の匂わせ女は前から知ってた。少しだけ、バレない程度でマウントしてやろうとしただけなのに結果的には全世界に向けて流川楓に押し倒される動画を公開することになってしまった不憫な男。チームの広報には生暖かい見守るような目で親指を立てられてウインクされた。「こんなことで初トレンド入りしたくねえ!」

□流川楓……匂わせ女?誰?知らない。それよりセンパイ、約束通り『コレ』終わったら一緒に風呂入ろ?

□読モ兼インスタグラマー……翌日にアカウントを消した

□堀田徳男……インスタはよく分からないので使えない派。朝起きたらツイッターに「流川と三井」「結婚」がワンツーフィニッシュでトレンド入りしているのを見て腰を抜かした。三っちゃん……幸せになってくれよな!