手紙が届いた。差出人の名前はない。
ヒサシ ミツイ。ローマ字で書かれた自分の名前。
見覚えのあるその字に、自然と口が緩む。ポストのある共同玄関から経年劣化で建付けの悪くなったアパートの階段をゆっくりとのぼりながら、三井はその封を破った。
差出人の名前のない一通の封筒。それでも遥々と海を渡ってここまで届くのだから、ある意味凄いのではないかとは思うのだが、勿論最初はきっちりと叱った。国内郵便でもリターンアドレスは書くというのに、国際便で届かなかったらどうするんだ。そもそもこのご時世、メールはおろかこうやってSkypeや色んな連絡の手段があるというのに、どうして郵便で送ってくるんだ。
たしなめる三井に、二つ年下のその男はいけしゃあしゃあと宣った。
「だって、郵便が届くって思ったらアンタ、そこから引っ越せねー」
「はあ?」
「オレが日本に帰るまで待ってなくても全然いー。でも、先輩がどこに行ったのかわからなくなるのだけはイヤっす」
「……なんだよ、それ」
「アンタが待ってなくても、オレが帰る所は先輩の所だから。居場所が分かんなくなるのだけは困る」
海外で切磋琢磨して厚くなったのは、体だけじゃなく面の皮もなのか?『よっ、座布団一枚!』なんて脳内でミニサイズの木暮がいそいそと座布団を持ってきてくれる。脳内で開かれる大喜利大会……一瞬そんな現実逃避に襲われつつ、三井は大きなため息をついた。
「本当、お前ってヤツは……」
郵便だって引っ越ししたら転送届を出すし、ちゃんと新しい住所に届くのだ。そういう日本の郵便事情を教えるのは簡単なのに、どうしてか三井はそれから何年も、この古ぼけたアパートにずっと暮らし続けている。
封筒の中には、絵葉書が一枚入っていた。世界史の教科書にも載っている、絶妙なバランスで建っている斜塔。その絵葉書に、油性ペンで書きなぐられた一言。
――頑張ります。
毎年同じ、その言葉にいつのまにか自分も頑張ろうと思えるようになったのは、いつ頃だっただろう。戦っている場所は違っても、同じこの空の下、どこかでボールを追いかけていると勇気を貰えるようになったのは。
「……今年はスペインか」
スペインって何があったっけ。ソーセージが美味かったっけ……いや、それはどう考えてもドイツだな。まだ少し寝ぼけた頭で、遠い異国の地を思う。
「あいつがなかなか日本に帰ってこねえから、もうオレから行っちまおうかな」
バルセロナ空港で驚く流川の顔を見て、にやりと笑って「レアル・マドリードの試合見に来たんだけどな、俺は」なんて冗談を言ってやろうか。きっと拗ねた猫みたいな顔をしてふくれっ面になるだろうけど、それもこの三井寿をこんなにも待たせたからなのだから仕方がない。
部屋に戻ると、三井は締め切っていた窓を開けた。初夏の青く透き通る空が、ベランダ越しに広がっている。願わくば、今スペインの空も同じように晴れていますように。そんなことを思いながら、三井は新鮮な空気を大きく吸い込んだ。
END