冷たい木枯らしがびゅうびゅうと、容赦なく顔にたたきつけるように吹き付けてくる。その冷たさに顔をしかめながら、仙道はカシミヤの紺色のマフラーを首に巻きなおした。
定時を少し過ぎた時間……まだ18時過ぎだというのに、夏と違ってあたりはもう真っ暗だ。ずいぶん太陽が沈むのが早くなって、冬の訪れをこういう所からも感じてしまう。
帰宅ラッシュの電車に乗り込むと、そこはもうすでに寿司詰め状態。他人と接触するのがあまり好きではない(というか、好きな人が居るのかという方が疑問かもしれないが)、仙道は少し表情を曇らせながら、電車のつり革を持って小さく溜息を付いた。
ラッシュが嫌ならば、少し時間を遅くして帰ればいいところなのだが、仙道には一目散に家に帰りたい理由があるのだ。
高校時代にライバル校のSGとして出会って、大学で偶然再会し、彼が卒業するまでの三年間を一緒に過ごし、社会人になって数年。同じマンションで同棲を始めた年上の恋人――…三井と暮らし始めてもうすぐ半年が経つ。
大学時代から付き合っているとはいえども、二人で24時間一緒の場所で暮らすのは初めてで、半年経ったとはいえども、新婚夫婦のような甘い生活はいまだ健在であるし、自分も共働きであるにも関わらず毎日、自分のために朝・昼(昼は所謂、愛妻弁当というのだろうか)・夜と食事を用意してくれる。学生のひとり暮らし時代から決して料理が得意というわけではなかったのは自分が一番よく知っているし(何回か焦げた野菜炒めを平らげたことがある)それにもかかわらず、一生懸命に頑張ってくれているのが愛おしい。
仙道が残業の時は先に連絡を入れるため、晩御飯も先に一人で食べているようだったが、こうやって普通の時間に帰れるときは、ほかほか炊き立てのごはんと共に、ダイニングテーブルで自分の帰りを今か今かと待ってくれている。
ーー三井さんがそうやって待ってくれているのを分かっていて、ラッシュ時だからといって乗れる電車に乗らず、むやみやたらに時間をつぶし、帰りの時間が遅くなるなんて、そんなことがあっていいのだろうか……いやありえない。絶対にありえない。神や仏に誓ってもあり得ない!
そんな訳で、仙道はおおよそ30分ほど、ぎゅうぎゅうになった電車の中で必死に耐えているのだった。
ぐっと目をつむると、脳裏には照れくさそうに「…おかえり、早かったな」と微笑む姿が。……嗚呼!なんて可愛いんだろう。バスケットボールの女神がいるなら、きっとそれはこんなふうに微笑むんだろうか。……お察しの通りだと思うが、別に三井寿はキャラ変えをして表情まで愛妻風味になったわけではなく、これはすべて仙道の想像である。仙道は非常に疲れている&満員電車で最後の気力を振り絞って現実逃避をしているのであった。
ーー今日の晩御飯は何なのだろう?寒いから鍋でもいい。いや、洋食だとシチューなんかでもいいな。今日は中華の気分ではないけれど、三井さんが作るなら、多少…普通の人が作るものよりも、ほんの少しだけ辛すぎるエビチリだって何でもおいしくいただける。グラスに気前よくビールを注ぎたしてくれる三井さんも、「今日飲みすぎじゃねえ?」なんて言いながらオレの健康を心配して諭してくれる三井さんも、ああなんだってすべてが可愛い!どっちもかわいい!選べるわけない!
待っててね三井さん、いま僕は会いにゆきます。世界の中心、いや電車の戸袋で愛を叫びたい。そんな、どこかで聞いたことのあるようなタイトルを脳裏に浮かべながら、仙道は修行僧のような気分で、自宅の最寄駅に到着するのをじっと待つのだった。
都内某所、閑静な住宅街にあるタワーマンション。そこに二人の愛の巣がある。
不動産屋から渡された鍵は二つで、一つずつを持っているため、仙道だって鍵を開けることはできる。けれども、敢えてインターホンを鳴らしてみる。すると、中からぱたぱたとスリッパを履いた足が駆けてくる音が聞こえ、扉が開かれた。
「お前も合鍵もってるくせに、なんでいつもインターホン鳴らすんだよ」
「いやあ、今日も鍵忘れちゃって」
そんな見え透いた嘘をのうのうと言ってのけると、三井は苦笑しながら仙道のマフラーを外す。外の空気に触れていた体は思ったよりも冷えていたようで、三井の手が湯たんぽのように温かく感じる。
「うわ、お前のほっぺたすっげー冷たい!」
「ビル風と木枯らしがすごかったから」
「オレも仕事終わりに買い物行ったとき、あまりに寒いから帰りにコンビニでシュークリーム買っちゃったし」
「それは寒かったっていうか、三井さんが食べたかっただけなんじゃないんですか?」
「うるせーよ」
そんな他愛もないやり取りをしながら、仙道のコートとマフラーを持った三井は部屋の奥へと先に歩いていく。所謂、ウォークインクローゼットのようになっているその部屋は、二人の冬服がめいいっぱいに詰め込まれている。その様子を見ながら、仙道はリビングへと向かった。
リビングのドアをあけると、あたたかい空気が流れてくる。キッチンには途中まで仕込み終わった料理が並んでいた。今日は寄せ鍋らしい。仙道が電車の中で思いを寄せていたレシピとばっちりあっている。内心上機嫌になりながら仙道がダイニングテーブルで待っていると、出来上がった鍋を両手で持ちながら、三井がリビングに用意していたカセットコンロの上に置いた。
「大丈夫?こぼさない?」
「そこまで不器用じゃねえし」
三井がエプロンを取って、ダイニングの椅子の背にひっかけた。
「いただきます」
「いただきまーす」
手をぱん、と合わせて湯気の立つ鍋に一礼する。ふたりで囲む鍋は、きっと二倍も三倍も美味しいから。
鍋のシメとして、三井が炊飯器からご飯をよそい、鍋の中に入れて雑炊を作っている。テレビからは、女性アナウンサーのほがらかな声でニュースの中継の映像が流れているらしい。
――今日は冬至ですね、一段と寒さが身に染みた日中ではありますが、今夜は柚子風呂でほっこりあたたまるのはいかがでしょうか――
「ねーねー三井さん」
「なんだよ」
ぐつぐつ煮立つ鍋に、溶き卵をいれながら三井が相槌を打つ。
「今日は冬至だって、柚子いれてお風呂にしましょうよ」
「柚…?そんなの買ってねえし」
「じゃあレモンでもいいですよ」
「レモンも果汁ぽんぽんって入れるこんなのしかないけど」
「それでもいいんじゃない?」
「良いわけねーだろ!」
◆◆◆
結局、この時間からスーパーに行く気概もなく、いつも入れている炭酸の固形入浴剤を湯船に入れた。
一応、黄色のヒノキの湯?とかいうやつにしておいたらしい。理由は”なんとなく”。「ピンクの湯になる薔薇のやつよりも、黄色の方がなんだか柚子風呂っぽいだろ?」なんていう冗談に「適当ですね~」なんて返しながら、三井に言われるとなんだかそんな気がしてくるから不思議だ。
湯船の中でしゅわしゅわと溶けていく入浴剤を手で転がす。三井は、仙道が広げる足の中にしゃがむようにしながらもすっぽりとおさまっていて、学生の頃よりは少し長くなった襟足がうなじに張り付いている。それを掬い取るようにしてやると、くすぐったそうに肩をすくめた。
「それ、いつもやるけど本当にこそばゆいからやめろってば」
「いやです、くすぐったがる三井さん可愛いからやめたくないなあ~」
ふたり一緒なら、柚子風呂なんかじゃなくてもいい。安っぽい入浴剤でいい。
ふたり一緒なら、それだけで特別なのだから。
寒い冬こそ、からだも、こころもほかほかに。
ほっこりほんわかした湯気をまとった二人が、仲よくベッドに入るのは、もう少し先の話。
END