28.5㌢のシンデレラ

「センパイ、まだバッシュはアシックス派?」
「……お前、まずは『お久しぶりです、三井先輩』とか言えねえのか」

 成人して久々に会った高校時代の後輩との一杯の席。さすがNBAプレイヤーらしいVIPな個室に通されて最初の一言がコレ。未だにこの男――流川楓の思考回路を先回りして待ち構えるのは至難の業だ。
「……オヒサシブリデス」
「はい、よくできました」
 まるで先生と生徒のようなかけあいに、内心自分で笑ってしまう。完全に職業病だ。

 スポーツの報道で流川楓の顔を見ない日は無い。だから久々に会ったという感じはしない。だけどやっぱり液晶越しに見るこの男と、面と向かって対するのはまた違う。
 高校時代から変わらない黒髪と、透き通るような白い肌はアメリカでもよく映える。あちらの実況が流川を称して『ジャパニーズ・ヒカル=ゲンジ!』なんてマイク越しに喚いていたが、ジャパニーズも何も光源氏は日本人だ。それにコイツと光源氏はどう考えても合わねえだろう。プレイボーイと真逆を時速150㎞強で突っ走る男だぞ――と、現・国語の高校教師である自分が脳内でツッコミをいれてしまう。たぶん実況はそこまで特に考えて喋ってるわけじゃないってことは分かってる。これも職業柄だ。許して欲しい。

 高校時代は少し長かった髪も、アスリート然としていて襟足は短く、前髪も爽やかな長さに整えられていた。

「んで?いきなり何だよ、バッシュの話?」
「まだアシックスしか履かねーの?」
「お前がなんでオレのバッシュなんか気にすんだよ」
 コイツと意思疎通するのはバスケットのほうが簡単だ。現NBAプレイヤーと今、ワンオンワンで勝てるかといわれれば難しいかもしれないが、三井も毎日バスケ部の顧問としてボールにさわらない日は無い。オフシーズンで帰国している今、いつか流川に勝負を挑んでやろうとは思っている。あと、湘北にも顔を出させてやる(三井先生ホントに流川楓と知り合いなんだ!すごーい!って生徒に言わせてやるのだ)
「バッシュはアシックスだったでしょ。ファブレジャパン」
「タオルはアディダス派だぞ」
「知ってる」
 あ、ちょっと笑った。永遠に緩まなさそうな口元がふわりとほころぶ。それを見ると、少しだけ嬉しくなる。自分はこの男の、パーソナルスペースの中に入れてもらえているんだなと思えるからかもしれない。つかず離れず、卒業しても縁遠くなることは無く。彼はバスケで頂点を目指す道、自分はバスケを教える側へと変わっても、毎年このオフシーズンの時期になると、決まったように二人で酒を飲み交わすようになっていた。

「それで、まだアシックスしか履かねーの?」
「いや、最近はそこまでこだわりねえな。まあ、選手ではねえし、履けたらそれはそれで……って感じ」
「よかった」
「ん?何がよかったんだよ」
「コレ。センパイにあげる」
「……?」
 流川から手渡された大きな紙袋を受け取る。中をのぞくと、この男が愛用して履いていたスポーツブランドのロゴの箱が見えた。ダンクシュートを決めるシルエット。これは、もしかして……
「エアジョーダンじゃねえか!」
「そう。センパイどうかなって」
「マジかよ!オレ貰って良いのか!?」
 こくり、と流川が頷く。急いで箱を開けると、白い緩衝材の中から、まっさらのバッシュがあらわれた。ちょっと、いやかなり良すぎるだろ……。

 湘北高校を思い起こさせる赤。シルバーとブラックのモノトーンのソールに、差し色で赤色が効果的にデザインされている。でもこんなエアジョーダンのバッシュ見たことあるか……?一瞬そんな疑問も湧いたが、自分はエアジョーダンマニアではない。きっと新商品でも出たんだろう。そんな些細なことはどうでもいい。見たことの無いデザインに、三井の心は一気に跳ね上がった。
「格好良すぎる……こんなの貰って良いのかよ……」
「スポンサーになってもらってるから貰った。センパイに似合うかなって思って」
「履いてみても良いか?」
「うん。万が一合わなかったら言って」
 いそいそと革靴を脱ぎ、バッシュに履き替える。まるで自分の足を包み込んでくれるようなフィット感に、三井の心は更に浮かれ上がった。
「ぴったりだ!マジでさんきゅーな流川!」
「喜んでもらえてよかった」
 ちびちびと日本酒を舐めながらそう言う流川の頭を、ペットの犬のごとくグシャグシャと撫で回した。
「明日からすぐに履くぜ。部活で生徒に自慢してやる」
 自分にグシャグシャにされた髪のまま、流川が頷く。あ、またこいつ笑ってる。あの頃より少しだけ感情表現が上手くなった後輩を眺めながら、三井はさっきより旨く感じる酒に舌鼓を打った。





◇◇◇




 放課後、学生の賑やかな声がこだまする体育館。昨日流川から貰ったばかりのバッシュを履いて生徒達の前に登場すると、ものの数秒でそれに気づいたらしい生徒が歓声を上げた。
「先生!バッシュ新しくなってる!」
「ほんとだ!エアジョーダンだ~かっこいい!」
 わらわらと集まってくる生徒に「そうだろ?」とドヤ顔で返すと、「ミッチーその顔ウケるんだけど!」と黄色い笑い声が上がった。

 湘北高校バスケ部は、男子は安西先生が顧問となって担当しているのは相変わらずだ。最近になって女子バスケ部が発足し、女子の顧問に……と安西先生が自分を推薦し、今に至る。
 女子高生を相手にするのは骨が折れるが、根は皆良い子ばかりだ。新チームとなった今、来年こそは男子のように全国出場を目標に、毎日切磋琢磨している。
「ミッチーはアシックスしか履かないんだと思ってた~」
「ああ、コレな。昨日流川に会って貰ったんだよ。だから今回だけはオレもナイキ派だ」
「えっ!流川選手に昨日会ってたの!?」 
 周りから「いいな~」「つれてきてよミッチー!」なんて声が次々と上がる。
「アイツが帰国してる間に一度引っ張って連れてきてやるから」
「ほんと!?約束だよミッチー!あとそのバッシュかっこいいから写真撮って良い?部活のインスタに上げたい」
 湘北高校女子バスケットーボール部は今のご時世に逆らわず、女子バスケ部の活動報告としてひとつのアカウントを作り、日々の練習や日常を更新している。
「いいけど、練習中はスマホ部室に置いて来いよ」
 教師らしく諭すと、その女子生徒は「はあい~」と聞いてるのか聞いてないのか微妙な返事をして、三井の足下にカメラを向けた。ピロンと軽快な電子音が鳴る。
「加工これでエモくして~あ、タグつけとこっか。#監督のNEWバッシュ #流川楓 #から貰ったらしい #うらやまし~ コレでOK……っと」
 投稿が終わったらしい生徒が顔を上げる。
「ほら、終わったんなら早く練習始めるぞ」
「は~い」
 普段と同じように、平日の練習が始まる。汗をかきつつ指導に精を出し、ひとつひとつのプレーに寄り添ってチームをまとめていく。そして部活の指導が終わったら職員室で明日の授業の準備をし、まっすぐに帰宅する。そんな普通の日に、なるはずだったのだ――。



「ミッチー!やばいよ、インスタがバズりまくってる!」
「ああ?」
 下校時間直前。練習着から制服へ着替えた女子バスケ部の生徒達が、スカートのプリーツをたなびかせてバタバタと職員室に乗り込んできた。尋常じゃ無い様子に、三井の顔が曇る。教師という職業柄、どうしても『バズる』という言葉に悪い意味で想像しがちになってしまう。
「お前ら、炎上するような投稿でもしたのか?だから部活のアカウントは真面目に使えって前からオレは」
「そうじゃなくて!そういう炎上じゃ無いの!!ミッチー、これ、流川選手に貰ったんだよね!?」
「お、おう……」
「これ、カエデ・ルカワとエアジョーダンがコラボした、世界に一足しか無いバッシュらしいよ!?」
「……………………はい?」

 三井は数秒固まったのち、教師らしからぬ間抜けな声をあげた。流川とエアジョーダンのコラボ……?世界に一足……?情報処理が追いつかない。

「コメントでバッシュフリークらしい人が教えてくれてる!えっと……カエデ・ルカワとエアジョーダンのコラボバッシュ。シルバーのモノトーンで纏められた通常バージョンと違い、こちらのバッシュは赤色を基調としたもの。流川楓の原点である、湘北高校のユニフォームをリスペクトしたカラーリングとなっています。世界に一足のバッシュを作る際に、流川選手からの要望が『赤色が差し色で入ってるのが良い』と言われた……って、メーカーの開発担当の人が雑誌で答えてるらしいよ?」
「そのほかにもコメント来てる!えっとね……『バッシュを作る際に、流川選手の足のサイズでは無く、28.5㌢をセレクトされた』って書いてある。流川選手のサイズじゃ無いのに、なんでそのサイズで作って欲しいって言われたのかは謎だったんだって、今まで。大事な人に贈るためなのかな……とか噂されてたみたい」
「ねえ……あのさ、ミッチーの足のサイズって……」
 矢継ぎ早に女子生徒の早口攻撃に逢いながら、かろうじて、最後の問いかけだけは答えることができた。
「28.5……」
 ぼんやりとそう呟きながら、三井の脳裏には昨夜の「うん。万が一合わなかったら言って」と言葉を交わした流川の顔がよぎっていた。

「…………………………」
「…………………………」


 周りを囲んだ女子生徒が絶句している。勿論、三井も同じ気持ちだ。
 ピロン、とまた新しいコメント通知が来たらしく、女子生徒がスマホを上に向ける。ジャイロ機能で自然と液晶が付く。そこにかかれていたコメントを、女子生徒の震える声が読み上げた。
「やっと見つかった、28.5㌢のシンデレラ……」

「…………………………」
「…………………………」


 数秒の沈黙の後、女子生徒の爆発したような笑い声が職員室を響かせる。
 SNSのトレンドにも上がったらしく、ネットニュースを見た宮城リョータから「アンタいつから流川王子のシンデレラになったんスか?」なんてからかいまじりの電話が鳴るのも、そう遠くない話であった。







     END





[登場人物]

◇流川楓……高校時代にセンパイが『世界に一足しかないバッシュとかすげえ格好よくね?』と冗談交じりで言っていたのを覚えてた。SNSはやってない。ネットニュースも興味ないから、センパイからの怒濤の着信で事態に気づいけどまあ満更でもない。

◇三井寿……『ミッチー』から一転『シンデレラ』にあだ名が変わる。早く風化してくれ。あと流川アイツまじで今度会ったとき覚えてろよ!?

◇女子部員達……ミッチーの王子様、早く湘北に遊びに来てほしいよね!ミッチーとのツーショ撮ってまたバズらせちゃお!

◇宮城リョータ……あいつ、まだ三井サンのこと好きだったのか……。十年越しの恋ってスゲえな……。