星を掬う


「二十万分の一、なんだってよ」
「何が」
「人が、人生の内で何かしら接点を持つ人間に出会う確率」

 時折この人は、哲学者みたいなことを言う。

 あの頃。いつも体育館ではしゃいで、ガハハと下品に笑って、バカみたいに大騒ぎしていた様子とはかけ離れた姿。砂がついたボールを丁寧にタオルで拭う横顔を、流川はじっと眺めた。

 学生達は春休みの真っ只中の小春日和。昼間はストバスのコートに沢山居たであろう人影も、夜の帳が落ちた今はシンと静まりかえっている。申し訳程度に灯された街灯が、接触不良なのかチカチカとゆらぎながら三井の姿を照らしていた。

 長い睫毛が、目尻の笑い皺に影を落としている。少しずつ白髪が混じる短く切り揃えられた毛先が、蛍光灯の光でほんのりと透けて見えた。

「二十万分の一って……例えば?」
「んー……学生で言ったら同級生とか、同じ学校とか?」
「へー……」

 あの頃、同じクラスでも誰が誰なのか覚えているかと言われると危ういのに、同じ学校になるだけでもそんな確率なのかと、ぼんやりと思う。

「んで、ちょっと顔見知りは二百万分の一」
「試合の対戦相手……みてーなカンジすか?」
「そーかもな」

 三井が磨き終えたボールをバックパックに詰め込む。自分の手より少しだけ細くて長い指先が、ジッパーをつまんで引っ張り上げていく様子を目で追いかける。

「それで、親しくなるのは二千万分の一」
「チームメイト?」
「そーかもな。そんで、友達って呼べるのが二億分の一」
「…………」
「親友はさらに、二十億分の一」

 果てしない確率を重ね上げていく。ベンチに置いていたバックパックを背負った三井が、こちらを向いてゆっくり目を細めた。

「そんで、最愛の人と出会う確率は、六十億分の一」

 ベンチに座ったままの自分に、手を差し出される。その手を掴んで、流川も立ち上がった。
 握ったその手は、十八歳の頃のように若々しく瑞々しい肌ではない。それでも、年を重ねて皺の増えたその手は人生を一つ一つ、一年ずつ歩んできた証だ。その三井の手を綺麗だと思うし、愛おしいと思う。

「六十億分の一……」
「宝くじ当てるより大変だよな、たぶん」

 軽口を舌に乗せながら、三井が歯を見せて笑う。目尻に皺が刻まれる顔を見て、流川の唇もやんわりと緩んだ。差し出された手をそのまま自らのアウターのポケットにいれる。付き合いたての学生かよ、なんて笑い混じりの声が聞こえてくる。それでも振りほどかない三井の手の節を、やさしく指のはらで撫でた。

 十代の青く瑞々しい若葉の季節は遠くに過ぎ去り、どちらかというと、あと何年生きれるのだろう、なんて冗談交じりに話すことの方が増えた。
 人生を百年と喩えたならば、もう折り返し地点は回った。お互いに大人になったし、あの十代の頃のはじけるような輝きも、鮮烈な恋心の迸りはもう無い。その代わり、ゆっくりと包み込むような安寧と静寂にも似た情と愛おしさが、二人をつないでいる。


 六十億分の一。

 おそらく、この夜空に輝く一つ一つの星を掬って、ただ一つの欠片と出会うような確率。この空に光るたった一つの恒星を探し当てるほどの確率で、この人に出会えた。

 自分よりも少しだけ体温が低いその手を、きっともう一生離せない。
 流川楓のしあわせは、三井寿のかたちをしているのだから。








end