マザーグースも知らない

――女の子はお砂糖とスパイスでできている。


 ならば、男だってそんな素敵な言い回しがあってもいいんじゃないだろうか。カエルやカタツムリ それに子犬のしっぽなんて、いくらなんでも酷いんじゃなかろうか。

 そんな現実逃避をしながら、三井はダイニングテーブルの上に積み上げられた『例のアレ』を見つめた。

 『例のアレ』……。とある有名な魔法小説の『名前を言ってはいけないあの人』ではないものの、こう毎年同じ時期に大量の供給があると、名前も言いたくなくなるというものである。
 そう、『例のアレ』の真名は、チョコレートという。

 甘く芳しい洋菓子のイメージとは裏腹に、山盛りになったチョコレートというものは、いっそ暴力的なまでの威圧感を放っている。色とりどりに包装された小包が、着飾った女性たちをも想像させられて、三井は大袈裟に溜息をついた。
 勿論、それはリビングでのんびりと寛いでいるであろう男。この貰い主の張本人に、よく聞こえるように……である。

 三井の大袈裟な溜息が聞こえたらしい黒髪の男は、のっそりと冬眠明けのクマのごとく、ソファーの背もたれから姿を見せた。

「今年はこれで全部」
「いや、『これで全部』じゃねーんだよ」

 流川は小さく首をかしげた。

「貰ったチョコ、捨てずに御礼言えっていったのはセンパイ。ファーサイド?みたいなヤツは上げといて損はないって言ったのもセンパイ」
「ファーサイドじゃなくて『好感度』な。……いや、そうだな。うん……分かってる、オレが確かに言った。あまりにもお前がけんもほろろにチョコ突き返すって言ってたから、オレがそう諭したのもちゃあんと覚えてる。覚えてんだけどよ……」

 三井は舐めていたのだ。流川楓という男が2月14日に貰ってくるチョコレートの数を。
 一緒に暮らすまでは知らなかったのだ。紙袋に入らないくらい多いだの、チョコを渡す女で列ができるだの……そんな噂は噂だけの事だと思っていたのだ。まあ、多くて数十個だと思っていた。完全に三井の誤算だった。

「センパイと暮らすようになってから、コーカンド?っての、上がってる気がする」
「そ、そうか……うん、なら、いいんだけどよ」
「センパイのお菓子選ぶセンスがいいからだと思う。アリガトウゴザイマス」
「お、おお……」

 三井は横目でチョコレートの山を見て、再び小さくため息をついた。
 まずは、誰から貰ったのか、何個あるのかをエクセルで表にしないといけない。そこから予算を割り出し、3月14日のホワイトデーに向けての大プロジェクトが始まるのだ。

「去年はブラウニーだったから……今年のお返し……迷うな……」


 三井寿。またの名を、『流川楓ホワイトデー返礼品担当』。
 こっそりと同棲している恋人であり人生のパートナーである流川楓の好感度を保つべく、毎年一人の男が奔走していることは、絶対に知られてはいけない重要機密なのだった。







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