【鉄三】ここは奈落の花溜まり

 晴天に恵まれた空に、高らかにピストル音が鳴り響く。

 一斉に駆け出すハチマキを締めた生徒を、トラックの周りで声援を送る生徒。大声でわあわあと騒ぎ立てる様子は、屋上から見下ろすと蟻の大群のように見えた。わらわらと集まる蟻。自分たちの存在意義に疑問すら抱かず、せっせと毎日働く蟻と、毎日天真爛漫に学校生活を送る彼らは似ている。そんな皮肉めいたことを考える。


 学年別の学級対抗リレー。高校に入って初めての体育祭。一年生のリレーは、より一層盛り上がっているらしい。最後に追い抜いたクラスのアンカーらしき少年が、クラスの皆にもみくちゃにされながら喝采を浴びているのが遠目でも分かった。
 隣で寝そべっている少年の焦げ茶色の髪が、屋上の風に揺れてふわふわとそよいでいる。
 会ったころより、だいぶ髪が伸びた。


「お前のクラス、リレー1位みてえだぞ」
「……ふうん」
「まったく興味ねえな。誰だよ、部外者をこんな所まで連れてきた奴は」
「バイク乗せて欲しかったし。あと、行事に欠席すると目立って後で色々先公に言われんのダリィし」
「サボりてえなら堀田達も居るだろうが。俺を巻き込むんじゃねえ」

 わざと突き放すように言うと、深い琥珀色のような瞳がじっとこちらを見つめてくる。
 子供ではないけれど大人でもない。第二次性徴の狭間の中世的な容貌は、見ている側をどこか所在なさげにさせる空気を漂わせている。その少年――三井寿は気だるげに起き上がった。

 眼下では女子生徒の黄色い声援が飛び交っている。まるでハチマキをリボンのように編み込んでいる姿を見て、三井は小さく嘲笑った。

「ハチマキはヘアアレンジの道具じゃねえっての。たいして可愛くねえし」
「お前、なかなかのひねくれようだな」
 皮肉に皮肉で返すと、三井はさほど気にしていない様子で欠伸をした。くっと伸びた首筋には、先程までの情事の痕が残っている。体操服から見えるか見えないかで付けた赤い痕は、ほぼ日に焼けていない肌にくっきりと残っていた。
 先程まで睦み合っていた身体はしっとりと汗ばんでいて、体操服のズボンからちらりと見える下着だって、つい十分前までは自分の手がそれをまさぐって、脱がしていたのかと思うと、グラウンドから聞こえる爽やかな学生生活との差に笑いがこみあげてくる。

 学校はいつだって、王道の青春物語を押し売りしてくる。
 春に入学して、クラス替え。部活に入って爽やかな汗を流す。梅雨前に校外学習で仲良くなって、秋の体育祭でクラスの団結力を高める。部活では大会に勝ち進んだり賞を貰ったりして有意義な時間を過ごし、文化祭で親睦を深め合う。三年生になれば受験勉強に切磋琢磨し、卒業式で大切な仲間と涙を流して別れる。

 でも、その押し売りされた王道のレールに乗れなかった人間は、どうすればよかったのだろう。そんな自分達のような人間を救ってくれる手はどこにもない。自分達は、その世の中に対してまっすぐに憤れるほど子供ではなかったし、愛想笑いや嘘を並べて無理やり青春物語のレールに乗ろうとするほど大人でもなかった。


「なあ」
 ふいに声を掛けられる。三井の方へ向くと、顎を掴まれて、滑らかな舌に咥内をぬるりと嘗め回される。
「…………」
 無言の誘いに、こちらも黙ったまま腰を引き寄せて自分の上に移動させてやる。出会った頃から筋肉も落ち、体重も軽くなった身体はいとも簡単に自分の膝の上に乗った。赤色の体操服の半袖のズボンの中心が、緩く兆しを見せながら甘えるように擦り付けられる。それに答えるように腰を揺らしてやると、嬉しそうに瞳が細められた。

 穿いたばかりの体操着と下着をずらして、まろい双丘の狭間を指が伝う。小さく甘い声をあげて、三井の喉がくいっと反る。脱ぎ捨てた体操服のポケットから、正方形のそれを取り出す。学生生活の象徴である体操服と、その正方形のパッケージのコントラストに小さく眩暈がした。


 にぎやかな歓声と、三井のひきつった甘い悲鳴が耳を満たしていく。
 くたりとしなだれかかってくる身体からは、汗と生臭い性の香りがした。









end