(注意事項)
・三井が陵南へのスカウトを受けていた前提です
・陵南へ入学したため、膝は高1で故障しましたが、田岡の熱烈なお見舞いとサポートでバスケから離れる事なく三年間部活をやりきっています
・神奈川県のIH代表は海南大付属と陵南高校だったという設定です
・陵南で三年間部活をやり切った三井は、インハイ後推薦で大学に入学することが決まっているので、冬の選抜まで現役を続行します
・グレることが無かった為、10 years afterの自称『そんなバカじゃなかったのに』のごとく、勉強も平均くらいにはできるイメージになっています
・高3:三井・魚住・池上
・高2:仙道・宮城
・高1:流川
科学館に常設されている展示物を、三井は興味深げに眺めている。
天体の不思議や夏の星座、冬の星座……そして、元素記号や様々な物質が元素表の順に倣って透明なガラスケースに入っているのを見ている横顔は、二歳年上とは思えない。校外学習の小学生みたいで、なんだか微笑ましい。
夏期休暇の課題に必要な本を借りた図書館から寮までの帰り道。炎天下のなか、暑い溶けるオレが溶けたら責任もてんのかどうにかしろ仙道!……と難癖をつけて液体のようにダラダラと歩いていた張本人を引っ張り、帰り道にあったこども科学館に入ったのは本当に偶然のことだった。少しでも避暑になればいいと思って入ったそこは、夏休みの平日にも関わらず人はまばらで、エアコンの涼しい風が火照った首筋を撫でていく。
少しだけ休憩するだけだったつもりが、途端に上機嫌になった三井が「ちょっと見ていこうぜ」と、今度は逆に仙道を引っ張り入場券を買ったのがおおよそ三十分前のこと。薄暗い照明の中で、バックライトに照らされたシャーレやビーカーに入った元素物質が、どことなく非日常感を感じさせる。
「この科学館、入るの初めてですか?」
仙道が聞くと、三井が首をかしげた。仙道は東京からのスポーツ推薦留学組だが、三井の実家はここからもそうは遠くないはずだ。
「いや、たぶん小学校くらいのときに来てんだけどよお、そのときはよく分かんなかったから記憶にあんま残ってねえの。逆に今ならすげえわかる」
「三井さん、理系選択してるもんね」
「そうそう。つ~か『こども科学館』て名前だけど『こども』には若干難しすぎねえ?『高校生科学館』に名前変えたほうが良いと思うぜ」
「三井さんがこの科学館買い取ったら名前かえられますよ?」
冗談に冗談で返すと、三井がにやりと笑った。
「その前にオレは横浜スタジアムを買収するって決めてんだ。『三井スタジアム』にしてやるぜ」
「ハマスタじゃなくてミツスタかあ……」
三井さんが生まれ育ったバックボーンを考えると、安易に「無理でしょ」とつっこめないのが絶妙な所だなぁ。
仙道がそんなことを思っていることは露知らず、三井は「買収したらお前も招待してやるからな」なんて息巻いている。
「三井さんがハマスタ買収したとして、まず招待しないといけないのは田岡監督じゃないですか?」
「確かにそうだな……監督、ベイスターズの熱狂的ファンだもんな……」
買収主特権でシーズンシートを用意するか……魚住、あいつ野球好きだったっけな……なんて未来設計をどんどん立てていく三井に仙道は小さく笑った。三井と話していると、思いもよらぬ方向へ話が脱線して――いや、脱線どころではなく空を飛ぶ勢いで変わっていくのが面白い。見てて飽きない人だなあと思う。
三井さんが生まれ育ったバックボーンを考えると、安易に「無理でしょ」とつっこめないのが絶妙な所だなぁ。
「流川と宮城の席はあるんですか?」
「流川ァ?アイツまずバスケ以外興味ねえだろ!宮城は土下座して恵んでくださいって言ってきたら、考えてやらねえこともねえな」
「買収主さん、すごい権力持ってますね」
「当たり前だろ」
試合中でもプライベートでも、いつでも自信満々で不敵に笑って、不可能なことも可能にしそうなこの二つ年上の先輩のことは好きだなと思う。それは、この暑い中に「図書館に行くぞ」なんて引っ張られてもイヤな気がしないくらいには、仙道は三井のことを気に入っていた。
二人が不意に立ち止まったのは、大きめの体重計のような設備の前だった。
「ん?何だこれ……」
「えーっと、説明がなんか書いてますよ」
仙道が説明書きを読もうとした矢先、三井が体重計のような台に飛び乗った。すると、三井の目の前にある液晶が点灯し、何かを計測し始める。数秒たって画面に映し出されたのは、膨大な数字だった。
「お、なんか出てきたぞ?……原子体重計?」
「みたいですね?説明にも書いてます。体重から原子の数を割り出してくれるみたいで」
「オレの身体の原子の数ってことか」
三井が不思議そうに液晶を見つめ、数を数え出す。
「オレの身体は、えっと……水素がいちじゅうひゃくせんまん、いちおく、じゅうおく、ひゃくおく、せんおく…………数え切れねえ!」
「えーと、『人間の身体は水素原子と酸素原子、窒素原子、炭素原子でほぼ99パーセントを占めます。あとはリンやカルシウム、フッ素やケイ素と様々なものが組み合わさっており、体重によって増減します』だそうですよ」
「なるほどなあ」
「こうやって数値にされると、なんだか不思議な気分になりますよね」
仙道が呟くと、三井が興味深げに頷く。
「この原子をぜ~んぶかき集めたら、『三井寿』って人間が作れるのかと思うと面白えよな」
「理論上では、そうなんでしょうね」
仙道は、薄暗い中で光る液晶を見つめた。確かに、水素原子を数兆個、酸素原子を数億個……とかきあつめて、すべての『三井寿』を構成するものを用意すれば理屈上は『三井寿』が作れてしまう。
けれども、それは本当に『三井寿』なのだろうか。いま隣にいる『彼』になり得るのだろうか。いや、きっとそれは人類の叡智を超えた禁忌を犯すことになる。
『三井寿』という真っ直ぐで凜とした魂は、感情は、技術では作れない。だからこそ、人間は愛おしいと思う。何かぼうっとした感覚の中で、仙道は口を開いた。
「人間の構成要素は分かっているのに、科学の力では『三井寿』という人間を作り出すことはできない。だからこそ、三井さんはこの世にたった一人しかいない、大切な人なんです」
「…………お、おう……」
歯切れの悪い三井の言葉に、仙道ははっと我に返った。
あれ?ちょっと待って。仙道はつうっと冷や汗が伝うのを感じた。自分は今……すごく恥ずかしいことを口走ってしまったのではないだろうか。
ただの部活の仲の良い先輩と後輩なのに、まるでドラマティックな愛の告白みたいな台詞を、今、自分は。……まずい、まずすぎる。なんだこの空気は。
体重計に乗ったままの三井を見ると、少し耳が赤くなっていた。どことなく居心地の悪そうに後頭部をかいている。完全に変な雰囲気になってしまった。
「あの、えっと…………そう、そうやって説明に書いてあったんで……」
苦し紛れにそう促すと、三井はハッと我に返ったような顔をした。そのあとすぐ、ほっとした顔をして、わざとらしくガサツに台から降りてくる。降りてきた三井から早々に右肩に軽いパンチを食らって、仙道はわざとよろけて痛がって見せた。
「なんだよビビらすなよな~!オレ、お前に告られてるのかと思っただろ」
「あはは、三井さんで予行演習しちゃいました」
「ドッキリかと思ったぜ。奥から宮城とかが看板もって出てくるやつ」
「さすがに大がかりすぎませんか?」
他愛の無い話のキャッチボールで心拍数を落ち着かせる。この謎の胸の高鳴りの原因が何なのか、知らないふりをする。
三井のことは好きだ。でも、それは先輩として……同性として、ラブではなくライクのほうだ。自分も三井も可愛くて胸が大きくておしとやかな女の子が好きだ。ラブなのだ。
そうじゃなかったら、二人でグラビア雑誌を見て好みのグラビアアイドルを一斉に指差すなんて遊びはしないだろう。
「そろそろ帰ろうぜ~帰りにアイス買って帰りてえし」
「いいですね、オレはハーゲンダッツのいちごがいいです」
「……奢らねえぞ」
「図書館に付き添ったお駄賃だと思って~」
「しょーがねえなぁ……」
まんざらでも無いくせに、大げさにため息をつきながら前を歩いて行く三井の背中を、じっと眺める。
この気持ちは何なのか。本心を自分の中で突き詰めていくことは、きっと人間を科学で作り出すくらいに禁忌なことのように思えた。
知らない、気づかない。自分はただ、こうやって三井と何気ない会話をしながらバスケをして、日常生活を送ることができればいいのだから。
この関係のままで、三井の側に居る今が一番心地良い。この時間がずっと続いていけばいい。仙道は無意識のうちに、小さく拳を握りしめていた。
end