【仙三】陵南if

(注意事項)

・三井が陵南へのスカウトを受けていた前提です
・陵南へ入学したため、膝は高1で故障しましたが、田岡の熱烈なお見舞いとサポートでバスケから離れる事なく三年間部活をやりきっています
・神奈川県のIH代表は海南大付属と陵南高校だったという設定です
・陵南で三年間部活をやり切った三井は、インハイ後推薦で大学に入学することが決まっているので、冬の選抜まで現役を続行します
・グレることが無かった為、10 years afterの自称『そんなバカじゃなかったのに』のごとく、勉強も平均くらいにはできるイメージになっています


・高3:三井・魚住・池上
・高2:仙道・宮城
・高1:流川











 コンコンコン。
 控えめな音でドアが三回ノックされる。陵南高校所有の、運動部専用の男子寮。


「あいてる」


 聞きなじみのあるその音に、三井はノートに答案を書き込みながらおざなりに答えた。静かにドアが開けられる。


「……暑っつい……」
「外、そんなにヤベーんだ?」
「太陽がやばいです……。オレ、おつかいの途中で溶けるかと思いましたよ」
「お前が溶けたら体積すごそうだな。知ってるか?固体と液体に状態変化しても質量は変わんねえんだ。だから190センチのお前が溶けたら……」
「ねえ三井さん、いま物理の受験勉強してた?」


 笑いながら言葉を遮ってきた後輩――仙道彰に「ばれたか」と返した男。陵南高校バスケ部三年生・三井寿は目を細めて笑った。


 待ち遠しかったインターハイも、過ぎてみれば一瞬の日々だった。
 神奈川県予選・準優勝。
 インハイ初出場で目標は全国制覇しかなかった。陵南の『青い旋風』を巻き起こすぞ!なんて息巻いて広島の地へ降り立ったのが、ひどく遠く感じる。実際はまだまだ夏休みは中盤を迎えたばかりなのに、あの熱気と興奮が入り交じった時間は現実だったのか、夢だったのか。その境界線がぼんやりとするほど、あの一瞬は鮮烈で、一生忘れられない。


 夏のインターハイを区切りとして、主将であった魚住は家業の修行のため、池上は受験のためにそれぞれ現役を引退して、それと同時に退寮もしていった。
 陵南高校バスケ部は、原則として寮生活が必須である。監督である田岡曰く、部活時間以外にも生活を共にすることにより個々の絆や先輩後輩とのつながりも強固になりそれがプレーにつながる云々……。そういうわけで、たとえ実家が近隣であったとしても、部活に現役で在籍しているかぎり、高校が設えたこの寮に住み込むことになっている。


 逆をいえば、引退してしまえばその限りではないのだ。魚住も池上も、三井にとっては気の置けない同期であったが、実家も近いし、互いに家業や受験勉強に本腰を入れることになり、二人の背を見送ったことは、記憶に新しい。
 実は魚住と池上を見送った後、無性に寂しくなってベッドに丸くなってふて寝したことは、絶対に口外しないし、墓まで持って行く秘密だと三井が心に決めていることは余談である。

 魚住と池上が退寮してから、もっぱら三井は仙道と過ごす時間が多くなった。一つ年下の後輩といえば宮城も当てはまるのだが、宮城はおとなしく三井の『おつかい』で炎天下にスーパーに行ってくれるほど従順な後輩ではない(むしろ口八丁手八丁でいつのまにか三井が行かされる事もままある)。今は湘北の女子マネージャーに一目惚れしたらしく、より一層「三井サンの世話してる場合じゃねえんですよ」とのこと。世話をされた覚えはねえぞ!とは三井の主張だ。
 二つ下には流川という一年坊主もいるが、あいつに何かを頼んだら、眠気のままコーラと醤油を間違って買ってきそうな危うさがある。
 そういうわけで、何かしらと仙道を呼びつけてしまうのは自然ななりゆきだった。たまに、あまりにも呼び出してしまうことに罪悪感を覚えることもあるが、仙道の「三井さんと居る時間、オレは好きなので全然いやじゃないですよ」の言葉に、年上ながらに甘えてしまっている。

 汗をぬぐった仙道が、扇風機の風に顔を近づけながら紙袋を手渡してくる。
「これ、魚住さんから。豆腐ならバテても食べれるだろうって」
「アイツの家まで行ったのか?」
 スーパーで偶然会って世間話をしていたことを伝えると、三井は苦虫をかみつぶしたような顔をした。
「……相変わらず世話焼きなんだよ、アイツ」
「三井さんが夏になったらバテて食べれなくなるの、誰よりも魚住さんが知ってますからね」
「…………」
「魚住さんから伝言です。『また夏にウエイト減らしちゃって当たり負けしたくないなら食べろ』とのことですよ」
「……へいへい」


 三井は仏頂面のまま紙袋を受け取ると、部屋に備え付けてある小さな冷蔵庫にタッパーを入れた。いやいや受け取っているように見えるが、秘伝のだし醤油と細く刻んだミョウガで和えられた魚住お手製の冷奴は、実は三井のお気に入りである。
 それにしても……と、仙道が三井の部屋の卓上に広げられた参考書を見て小さくため息をついた。
「オレも二年目なので慣れてきたと思いたいんですけど、高三になってもこんなに夏の課題が出るのかと思うと……」
「来年は我が身だぞ、お前も。推薦で大学決まってても単位落としたら留年だからな」
「うわ~……オレ、今回数学がかなりヤバかったんですよね……」
「最後のインハイ、赤点でお前がでれなくなったら田岡監督が怒りで憤死するかもな?」


 三井がにやっと笑う。堂々と上からモノを言っているが、三井自身も今年のインハイ前は死に物狂いで期末テストの勉強に励んでいたし、まだ卒業単位を落とすかもしれない状況下にはおかれているので、どっちもどっちではある。


 陵南高校は文武両道を掲げている。勉学に励み、部活に励み、青春を謳歌せよというのがモットーであり、それはスポーツ推薦で入学した三井や仙道においても、単位の考慮などは一切無い。スポーツ推薦の生徒ばかり集めたクラスは存在せず、普通科という括りで一般入試の生徒と同じ教育のカリキュラムを受けることになっている点は、私立のスポーツ推薦をとっている高校では珍しいかもしれない。
 そんなわけで、インハイを終えた三井に待ち構えていたものは、最終学年として相応しいほどにこんもりと積み上がった夏の補習課題なのだった。


「お前もここで課題やってけば?どうせ今から自分の部屋帰ったとしても灼熱だぜ」
「そのつもりで自分の分のアイスも買ってきました」


 仙道がノートの入った鞄と、スーパーのビニール袋を掲げて笑う。その袋を受け取って再び冷蔵庫へ向かうと、三井は仙道が愛用しているグラスを取り麦茶を淹れようとして――……一瞬迷う。さっき買ってきてもらったばかりのジュースを入れてやるべきか。
「オレ、オレンジジュースで良いですよ」
「……おい、図々しいぞ。そこは普通『麦茶でいいですよ』だ」
「それくらいお駄賃もらわないと」
 のほほんと笑う男に毒気を抜かれた三井は、仕方なくどちらのコップにもオレンジジュースを注いでやった。



 カリカリと、紙の上をシャープペンシルが走る音だけが聞こえて、二時間ほど経っただろうか。仙道が小さく首を回しているのが視界の隅にうつる。外からは、景気の良さそうな野球部のかけ声がきこえる。午前中の 練習だった自分たちとは違い、午後からの練習のようだ。


「なんか夏にこうやって涼しい部屋にいて勉強してると、オレまで魚住たちと一緒に引退したのかなって気になるぜ」


 普通の学生であれば、当たり前のように受験勉強漬けの夏になっているはずだ。自分は運良く大学も推薦で合格が決まっているが、そうでなかった場合はきっと、冬の選抜まで部活を続けることは難しかっただろう。
 自分からバスケットボールを取り上げられるなんて、考えたこともないし考えたくない。
 高一の夏に膝を故障したあの瞬間の恐怖は、いまでも忘れられない。バスケができない自分なんて、自分じゃない。それでも、推薦合格がなければ将来のことを考えて、高校のバスケットボール人生はこの夏で終えていただろうと思う。だから先のひとりごとのような呟きは、今の自分の状況に感謝して満足しているからこその、軽い冗談のつもりだった。
 ひとりごとのつもりだったので、特に反応は期待していなかった。それでも仙道が一切なんの相槌もないので、軽くジョークのつもりで「先輩の言うこと無視してんじゃねえ!」と小突くつもりで顔を上げた。
 仙道が、何かうつろなものを見るようにして、三井を見つめていた。


「……仙道?」
「あ、いや……そっか。そうですよね」
「どうしたんだよ、暑さにでもやられたか?」
「いや……オレ、何か三井さんのこと、先輩ってあんまり意識してなかったていうか……」
「おい、それは聞き捨てならねーぞ」
 ここに来ていきなり喧嘩を売られているのか?三井が冗談でファイティングポーズをとる。しかし、その様子にも仙道はどこかぼうっとして、何の反応も返してこない。
「三井さんがオレより先に卒業しちゃうんだって、あんまり考えてなかったです」
「……なんだそれ。オレに留年しろって言いてえのか?」
 そういうことじゃないんですけど、と仙道が苦笑した。
「冬の選抜で負けたら、もう一緒のチームで試合できないんだと思っちゃって。あらためて、実感したというか……まあ、自分の中で。そんな感じです」
「……ふうん」


 二人の間に、奇妙な沈黙の時間が流れる。仙道と居るときに、たとえどちらも喋らない時間があったとしても、気まずさを感じたことは今までに一度も無かった。それなのに今、なぜか無性に何か喋らないと、という焦燥感に駆られていた。
 この空気から抜け出したい。それは向かいにいる仙道も同じようだった。う~ん、とわざとらしい背伸びをして、三井の部屋をぐるりと見渡す。


「……さ~て、休憩がてら三井さんお気に入りのエロ本でも探そうかな~」
「は、はあ!?」
「前はベッドの下にありましたよね?今回はどこに隠してるんですか?」
「ベッド下……って!?お前アレ見たのかよ!」
「三井さんが寮長に呼び出されてる間に」
「プライバシー侵害だぞ!」
 空気を変えたかったのは三井も同じだが、仙道にエロ本を見られていたことは初聞きである。「セーラー服の清純な~」「わあああああ!!」仙道が口にするタイトルを大声で遮り、顔を真っ赤にして仙道の着ていたTシャツを引っ張った。
「……うわっ!」
「っ……!」
 思ったよりも強い力だったのと、仙道が気を抜いていたのもあるかもしれない。190センチの体格がぐらりと、いとも簡単に引っ張られ、三井は自分の引っ張った力でそのまま床の上に仰向けに倒れ込んだ。ドン、と全面を打ち付けた背中の衝撃に目を瞑る。叩き付けた背がじんじんと痛い。


「いってえ……」
「三井さん、火事場の馬鹿力ならぬ、エロ場の馬鹿力やめてくださいよお~」
 仙道の揶揄った声がすぐ近くで聞こえる。ゆっくりと目を開けると、仙道は三井を自重で潰さないよう、覆い被さるようにして床に手をついていた。
 まるで、少女漫画のようなシチュエーション。
 しかしこうなった経緯は、男子高校生のくだらない下ネタとエロ本がきっかけである。ぎゃあぎゃあと騒いだ結果がこれだ。「何がエロ場だ、このバカ仙道」なんて言いながら三井は馬鹿馬鹿しくて笑おうとした。
笑えてきてしまうはず……だった。
 三井は、なぜかぐっと息を殺すようにして、間近にいる仙道の首筋のあたりを見つめることしかできなくなっていた。笑え、笑え、冗談で笑い飛ばせ。そう思うのに、呼吸一つとして気安く吐くことができない。三井に全体重をかけないよう、床に手をついている腕とか、至近距離で感じるうっすらとした汗のにおい。そういったものが、妙になんだか落ち着かない気持ちにさせられてしまう。
 ごくり、と喉を鳴らした。仙道の顔をおそるおそる見つめる。仙道の額に汗がにじんでいる。薄墨色の瞳と目が合う。いつも見ている顔のはずなのに、この角度から見た仙道は、まったくの別人のように見えた。


「……すみません、三井さん」
「本当だぜ。……何やってんだ、オレら」


 軽く冗談めかして言うつもりだった三井の声は、存外にひどく掠れていた。グラスの中にあった氷がカラン、と鳴る。遠くからはグラウンドからの賑やかな声が聞こえてくる。いつもの日常であるはずなのに、ここだけが非日常のように思えた。
 仙道が三井の上からゆっくり起き上がると、急に視界がひらける。三井も手をついて上半身を起こすと、仙道はすでに机に向かい、教科書を開いている。先ほどまでの事は無かったようなそぶりに、三井も暗黙の了解のように倣った。
「さてと……オレも数学やる、か」
 二人の間に流れた微妙な雰囲気を払拭するかのごとく、小さく咳払いをする。二人はそのまま再び静かに、シャープペンシルを走らせるのだった。







「……暑い、暑すぎる……嫌がらせかよ!」
「あはは、三井さんの部屋、相変わらず西日がすっごいですね」
 夕方に近づくと、三井の部屋はオレンジ色に照らされた太陽の光がこれでもか、と差し込んでくる位置にある。ほかの季節なら特に気になることもないが、真夏だけは本当に勘弁してほしい。オレンジ色の光とあなどるなかれ、だ。直射日光を浴びる形になり、三井はへろへろと力なく机に突っ伏した。
 蒸し風呂みたいな体育館で運動して汗をかくことには慣れていても、直接の太陽とはまた違う。それに、じっとしているのにじんわりと汗が流れるようなこういう暑さにも慣れていない。三井曰く『自慢の集中力』も底をつき、ごろんと床に寝転がった。


「あちい……さっきなんでアイス食べちまったんだ……今だろ……今が一番必要としてんだろ……」
「それは一時間前の自分に言ってくださいね」
 仙道が苦笑しながら麦茶の入ったグラスをかたむける。ごくりと喉仏が動く様子を見て、また何か落ち着かない気持ちになるのは気のせいだと三井は思うことにした。わざとあっけらかんとした声を出す。


「あ~~水風呂に入りてえ……」
「もうすぐお風呂の時間ですけどね」
「オレは水風呂に入りてえの!つうか寮の風呂の温度、夏なのに42℃は熱すぎねえ?余計に汗かく」
「まあそれは確かに。…………あ、」
 仙道が何かひらめいたような声を出す。三井は寝転がったまま、顔だけを向けた。
「何かあったのかよ」
 仙道は答えない。ただ、何か悪戯を思いついた子供のような顔をして、三井に笑いかけた。その顔は、何かあまりよろしくない事を企んでいる時の顔だと、三井は(主に仙道と過ごしてきた寮生活の中で)いやというほど知ったのだが……。今回も、マイペースなくせにキレ者の仙道彰の頭脳は、何かをひらめいたらしい。


「水風呂、はいれますよ」
「まじかよ!」
「じゃあ、夜の九時に校門前集合でよろしくおねがいします」
「おう。……え?何て言ったんだお前、校門!?」
「制服着てきてくださいね。見つかったときにごまかせるように」
「制服!?」
「じゃ、オレもいったん自分の部屋に帰ります。また……後で」
 それだけを言い残し、仙道はさっさと荷物を片付けると部屋から出て行ってしまった。
「アイツ……絶対よくねえこと企んでやがる……」
 先輩として注意してやるべきか。バレたときの田岡の怒りの鉄拳をリスクにかけるほどの事なのか。夜の九時まで、あと四、五時間といったところか。それまでは残りの課題を片付けるべきだろう。部活も勉強もこなす夏期休暇に無駄にする時間は一分も無いのだ。
 三井はため息をつくと、再び開いたままの参考書と向き合うのだった。

 







 言われたとおりに制服を身につけて学校へ向かった。朝日ではなく窓の外は真っ暗で、蛍光灯色に照らされながら、ぱりっと糊がきいて洗濯された白いシャツに袖を通すのは初めてで、なんだかいけないことをしているような気分になる。それは気分だけではなくて、事実そうなのだからなんともいえない。
 三井が校門の前にたどり着くと、仙道はすでにそこで待っていた。自分の姿を確認したらしい仙道は、宵闇に染まった校門の柵(勿論きちんと施錠されている)を悠々と乗り越える。
「……こんな夜中に忍び込んで、警備員のおっさんに見つかったらどやされるぜ、絶対。最悪のパターンは田岡先生に見つかることだぞ。明日は水分が枯れて死ぬまで走らされるかも」
「そうかもですねえ」
 しれっと答える仙道に、三井は脱力した。
「そうかもですねえって……おまえ、こういうことするタイプだったっけ?」
「三井さんが暑いから水風呂に入りたいって言ったんじゃないですか」 
「いや、言ったけどさあ……」
 水風呂の規模がデカすぎる……。三井が言いよどむと、仙道は振り向く。
「オレが叶えてあげますよ」
 仙道が指差す先――。白塗りのコンクリートに固められた、長さ二十五メートルの波打つ水面が見える。
「……マジかよ」
「マジです」

 ちょうど今日から水泳部が強化遠征で関西の方へ行くらしくて、あと警備員のおじさんも今日だけ居ないって聞いたんです。なので校門の中に入っちゃえばあとはなんとなるかなって。
 のんびりとした口調でそう話す仙道は、どこからそんな有力情報を得たのだろう。聞きたいことは山ほどあったが、とにかく警備員に見つかる事はなさそうでほっとする。極力、田岡監督の鉄槌は受けたくない。
 少し軽くなった気持ちのままプールサイドに腰を下ろすと、制服のズボンを捲った。足首あたりまでを水に浸す。猛暑の夏とはいえども、今夜の気温はまだ涼しい方だった。すがすがしく頬をなでていく風に少し目を細める。心地よい水温に、思わず感嘆の声を漏らしてしまう。日中に火照っていた身体が、ぐっと冷やされていくような気がした。
「あ、やべ~……超気持ちいい」
「でしょ?最高の水風呂ですよ」
「プールだけどな」
 三井が足をばたつかせて水しぶきを起こす。ぱしゃん、と跳ねたそれが、仙道の顔にかかる。
「うわっ、つめたいっ!」
「へへ、ざまあみろ」
「せっかく水風呂につかりたいって言うから連れてきたのに~」
 そう言いながら、仙道が手のひらですくった水を思い切り三井にかける。三井がさっき足で跳ねたそれよりもだいぶ多い水は、三井の頭をびっしょりと濡らした。さすがに量が多くはないだろうか?先攻は三井だったが、そこまでやっていいとは言ってない。
「くそ~!」
 やられるばかりではいられない。三井もより一層足をばたつかせた。すさまじい飛沫が二人ともに降りかかる。目には目を、歯には歯を。速攻には速攻を、カウンターにはカウンターを。元来、負けず嫌いの二人の攻防は、止みそうになかった。
「三井さんっ、ちょっ……本当に三井さんの飛沫すごいんですって!」
「お前こそ!的確に水ぶっかけてきてんだろうが!先輩に向かって!!」
 ムキになった三井が身体をかがめたその瞬間、重心がぐらりと揺らぐ。あ、これやばいかも。前傾姿勢のまま振り返って手を伸ばした先には、驚いた顔をした仙道の顔が見える。――死なば諸共。三井の頭の中に、その言葉がよぎったのと、仙道の手首をつかんだのは同時だった。そのまま、スローモーションのように二人の身体は、プールの中に大きな飛沫を立てて沈み込んだ。


 全身が一気に水に包まれる。水分を含んだ服が思ったよりもずっしりと重りのように三井の身体を動きにくくする。ごぽりと息を吐き出して、必死にもがこうとした時、力強い手が三井の腕を掴んだ。そのまま上へと身体を引っ張られる。
「……っ!、ぷは!」
 水面に顔を出して、三井は大きく息を吸った。心臓がバクバクと大きな音を立てている。やばい、死ぬかと思った。180センチ強の身長で足がつかない学校のプールなんて無いはずなのに、服があるだけでこんな風になるなんて、ちょっと今のはやばかった。動揺を落ち着かせようと何度か呼吸を繰り返した。吸って、吐いて。だいぶ落ち着いてきた頃、三井は引っ張り上げてくれた仙道に礼を言おうと隣を見て――……そのまま、小さく息をのんだ。
 水で重くなってぐしゃぐしゃになった仙道の髪の毛から、ぽたりと滴が落ちる。その姿があまりにも様になっていて、つい、からかってやろうと思っていた言葉を忘れた。


「三井さん、大丈夫?」
「あ……おう。あの、悪かった、な……」
「オレもはしゃぎすぎちゃいましたし、すみませんでした」
「いや、元はといえばオレが……っケホッ!」
 気管に水が入ってしまっていたらしい。噎せ返るような咳を何度か繰り返していると、仙道の手が三井の背中をさすってくれる。その手のひらの熱さが、心地良いはずなのに、どきどきして落ち着かなくなる。


 今日のあの瞬間から、なんだかおかしい。事故で床に押し倒された時から、仙道の一挙一動がやけに気になってしまう。
 至近距離で感じた体温、汗のにおい。嚥下するときに動く、雄々しい喉仏。同性で、後輩のはずなのに、どうしてこんなに気になってしまうんだろう。
 
 頭が警鐘を鳴らす。これ以上、気づくなと言っているように。
 きっと、夏のせいだ。こんなにも暑い所為だからなんだ。俺たちはただの先輩後輩で、これからまた冬の大会に向けて切磋琢磨しなくちゃいけなくて。こいつはまぎれもなく陵南のエースで、悔しいけれどこいつの切り込んでいくオフェンス力には敵わないと思っていて、それで。……それで、その。
「……本当に大丈夫ですか?」
 静かに落ち着いた声が、三井の鼓膜を揺さぶる。その声にぎゅうっと胸がしめつけられそうになるなんて、プールに落ちた後遺症かもしれない。自分が、どこかおかしくなってしまったのだ。そうに決まっている。
「せ、んどう……」
 絞り出した声は、掠れてひどく小さかった。収まりきっていなかった小さな咳が数回こぼれる。荒れた自分の呼吸音しか聞こえない。夜のプールは、おそろしいほどの静けさに包まれていた。


 仙道の瞳が、自分を射るように見つめている。さっきと同じ顔で。三井が、卒業することを実感したときと同じ顔で、まばたきもせず、口から吐いた息が触れてしまいそうなほどに、近く。
 仙道の長い睫毛の奥にある瞳が、水面とおなじようにゆらゆらと揺れている。綺麗だ。単純に、そう思った。三井の顎から滴り落ちた水滴が、ぽたりとプールの水面を揺らして、溶けていく。
 仙道の顔がゆっくりと近づいてくる。何も言わず、頬を手の甲で撫でられる。背中をさすってくれていた手が、腰の方へと下りてぐっと仙道の方へ引き寄せられた。ふたつの唇が震えながらそっと触れたとき、三井は仙道の制服のシャツをぎゅうっと握りしめていた。一瞬だけの触れて、また離れる。下唇だけを食まれるようにそっと仙道の唇で咥えられる。三井の口から、吐息がこぼれた。
「っ、……んっ……んん」
 少しうわずった声。まるで女のような吐息が、自分から漏れるのがひどく恥ずかしい。でも、羞恥心よりも何か形容しがたい感情がぐるぐると渦巻いていた。
 もっと、ほしい。もっと……したい。
「……三井さん、あの……」
 仙道が気遣うように問いかけてくる。
 今、自分はどんな顔をしているんだろう。きっと、だらしない顔をしているに違いない。三井は思う。その三井の顔を窺い見た仙道が、ごくりと喉を鳴らす。その音が、妙に大きく聞こえた。
「……き、す……」
「……すみません。こんな、いきなり……同意もなしに。その、オレ……」
「……い、い」
 絞り出した声のまま、仙道の顔を見上げた。驚いた仙道の顔が、なんだか可愛いなと思った。


 ――好きだ、と思った。

「せんど、う……だったら、いい」
「……三井さん、そんなこと言っちゃ駄目です。オレ、調子乗っちまうから……」
「仙道……が、いい。仙道じゃないと、や…だ……」
 若い性欲のかたまりが、ごくりと生唾を飲み干した音が聞こえた。





 つんとプールの消毒液の匂いがする。更衣室の簡易的な青い椅子にもたれかかるようにして、互いを貪るように口付けを繰り返していた。欲しい、もっと欲しい。相手のすべてが欲しい。
 上手いキスの仕方なんて、どっちも知らなかった。けれども、舌を絡ませて、二人の唾液でべとべとにしながら抱き合えば気持ちいいのだと、本能で知っていた。
「ぅ、……あ……」
「三井さん、呼吸、きつくない……?」
 三井の体勢を心配した仙道が気遣ってくる。それにゆるく首を振って、三井は微笑んだ。
「だいじょ、ぶ……だから」
 お互いに、男と男のやり方なんて知るわけがなかった。溜まりきった熱を持て余しながらキスをして、互いの身体をまさぐって、肌と肌を触れあわせて、どうにかひとつになりたかった。未成熟な二人の戯れは、とても拙くていじらしいものだった。
 水を含んだせいでぴったりと張り付いた制服のシャツは、三井の乳頭をぷっくりと主張させている。それを仙道がシャツ越しに引っ掻いてやると、息を殺したような悲鳴が小さく上がった。
「すみません!痛かった……ですか?」
 おそるおそる仙道が聞くと、三井はまた首を振った。宵闇でもわかるような真っ赤な顔をして、三井が呟いた。
「き、もち……よかった……」
「……っ!」
 仙道の下腹が、かあっと熱を持ったように滾る。その衝動のままに三井のシャツを剥ぎ取ると、日焼けしていない肌と少し朱に染まった乳首のコントラストにくらくらした。シャツ越しでもぷっくりと熟れていた乳頭は、雄を誘うようにしっかりと主張している。その誘惑に流されるままそこへ吸い付いた。
「あ!っ……ひゃ、ん」
 くうっと反らされた三井の喉元に、うっすらと喉仏が見える。それは同じ男であることの証なのに、三井のそれは淫靡に思えた。舌では二つの突起を愛撫したまま、脇腹に手を添えると、三井の腰がびくんと揺れた。しっとりと濡れた肌は、水のせいか汗のせいか。しっとりと仙道の肌に吸い付くような弾力を感じさせてくれる。耳の後ろのあたりを嗅ぐと、ほのかに三井の汗の香りがした。
 もっと、欲しい。もっと、近づきたい。でも、男同士でどうすればいいのかわからない。仙道は持て余した下半身の熱を、三井の腰に擦り付けた。
「あっ、ああっ……せ、んどぉ……」
「……っ」
 濡れた制服のズボンの中心が、張りをもって立ち上がっている。荒い息をつきながら、仙道にされるがままのそこも、やんわりと首を擡げているようだった。三井のそこと、自分の中心を擦り付ける。布越しでも、三井の肉竿の感触が自分の陰茎越しに伝わってくる。
 興奮で、目の前がちかちかした。
「あっ!あ……せんど、お……かた、い……」
「みつい、さんっ……」
 我慢できずに、自身のズボンのジッパーを下げる。びっしょりと水に濡れた下着の割れ目からそれを取り出すと、裏筋からぐっと力をもって反り返っていた。
「あ……せんど、それ……おれの……?ちくび、なめてて、そうなったのか……?」
「……恥ずかしいですけど、完勃ち、です……」
 さすがに笑われてもおかしくない。そう思っていた三井の様子は、仙道が思っていたものと違っていた。とろん、とした瞳が仙道をじっと見つめて、はあ、と吐息を漏らす。
「……どおしよ。おれ…………おかしい」
「何が……?」
「同じ、男……なのに、おかしい。オレ……おまえのちんぽ、見て……オレ……それが、ほしいって、おも、って」
「っ……!」
「オレ、おかしくなっちまってるんだ……さっき、部屋で、押し倒された、ときから……いまも、おまえの、見て……おれ、こんな」
 三井の震える手が、ゆっくりとズボンを下げる。下着のゴムを少しだけ手で下に伸ばしただけで、中からぽろんと先端を朱に染めた肉棒が顔を出した。
「おれ、せんどぉ、のちんぽ……すりつけられて……こんなになっちまった……」
 こぽり、と先端から白濁混じりの透明な雫がこぼれて、竿を滑り落ちていく。仙道が思わず三井の下着の中心をさわると、そこは水ではない粘着質なもので濡れそぼっていた。
「三井さん、もしかして……オレが擦り付けた時に、一回イった……?」
「…………ん……」
 三井が目尻に涙を貯めながら、こくんと頷く。真っ赤に熟れた乳首。半開きの唇。とろとろと淫液を零す下半身。そんなものを一気に見せつけられて、もう止まれるはずもなかった。
 三井を抱き寄せると、自分と向かい合わせにして膝に乗せる。夏バテしがちな彼の身体は、思ったよりも軽かった。足を開かせる前に、片方だけズボンと下着を脱がせる。締まりの良い陰嚢が二つ、その振動でぶるんと揺れた。
「あっ……せんどぉ、何……すんの……?」
「……わかんないです。オレも、男同士でどうやってすればいいのかとか、わかんないです。……でも」
「ん、おれも、わかんねえ。……けど、おまえと……えっちなこと、したい……」
「……オレもです、三井さん」
 至近距離で見つめ合って、再び深く口付けた。ぐちゅぐちゅと水音を立てて、互いの歯列をなぞるようなキス。そのまま仙道は三井の勃ち上がった肉棒を掴むと、自身の滾ったそれを一緒に握りこんだ。
「んああっ!あっ、あ!……せんどお」
「っ、やばい……コレっ……」
 お互いの鎌首がごりごりと擦れる。一緒に握ってみて初めて、三井のそれは自分のより少し小柄なのだと知った。舌を絡ませるキスに合わせて手のひらで下から上へぐっとなぞるように握り上げると、声にならない声をあげて三井が快感に震えた。
「んんっ!っ……あ、あ……ふあっ」
「っ……みつい、さんっ……」
 バスケ一筋で生きてきた十代の自分たちの中に、男同士のセックスの仕方なんて知識はどこにもない。だけど、どうしても二人は一つになりたかった。自分たちが考えうる、いやらしいこと。そのすべてを二人で試してみたいと思った。
 陰茎をくっつけけて、肌と肌をこすりあわせて、抱きしめて、溶け合うほどに口付けた。互いの陰毛が違いの下腹に擦れてこそばゆい。でも、それを止める事なんて絶対にしたくなかった。もっともっと、触れあっていたい。
「んああっ!せんどぉ……あっ、おれ、……イ……く……イっちゃ……」
「……オレ、も……っ」
 三井が大きく震えて、仙道の腹に熱い飛沫を飛ばす。それを追うようにして仙道も精を放った。びくびくと痙攣する三井の腰をさすりながら、自身も最後まで出し切るようにしてしごく。鈴口からとろりと勢いの無くした精液がこぼれ落ちて、二人の陰茎はどちらの精液かわからないもので、しどけなく濡れそぼっていた。
 荒れた呼吸を少しだけ整えて、口付ける。
「……仙、道…………」
「あとで、やれるかなって思って……合宿の残りの花火、持ってきてたんですけど……湿気ちゃいましたね」
「ん……」
 床に捨て置いていた線香花火は、プールの水と飛び散った精液でしっとりと濡れていた。



□□□







 夏休みが、永遠に続けば良いと思った。
「あっ、……ううっ、あ……」
 仙道の指が、三井のあられもない箇所に押し込まれる。中の襞を確かめるようにしてなぞられて、背中がきゅうっと反り返った。枕を抱きしめたまま、三井はくぐもった声を漏らすしかできない。


 毎日、部活の練習後。三井の部屋で夏休みの課題を終えたあとの一時間。ふたりで、男同士のつながり方について学んだ。男だとどこを使えば良いのか、その穴の慣らし方もインターネットで調べた。顔を真っ赤にさせて「もう嫌だ」と三井が羞恥に震えたことは何回もあったが、それでも三井は仙道に足を開き続けた。
 最初は不快感しかなかったそこが、いつのまにか性感帯に変わっていく自分の身体が、こわいと思った。こわい、きもちいい……と鼻水も垂れ流しながら泣いて、肉竿を片手でしごかれながら初めて仙道のそれが自分の中に挿入ってきた瞬間、三井は自分のなかで、何かの箍が外れる音を聞いた。
「あっ!ふあ!ああっ、ん……も、もっと……せんどぉっ」
「……く、ぅ…」
 低く唸るような仙道の声に、ぞくりと身震いした。自分は今、この男にすべてを捧げて、許しているのだ。自分の恥ずかしいところをすべて見られていることが、こんなにも気持ちいいなんて、三井は今まで知らなかった。
 ゴムをつけた仙道の先端が、三井の後蕾を押し込めてずぷりと入り込むたびに、中の襞は歓喜するように蠕動した。
「ああっ!あ、あ……もっと、ぉ……もっときて……んああっ!」
 ひとつになった『其処』が、ひどく熱い。ずるずると擦られて、より一層奥を目指して突き入れられる。
 仙道のこめかみからつうっと汗が伝った。掴んでいる机の上に置いてあった麦茶のグラスが揺れて、カランと氷の音を立てる。窓の外から聞こえてくる蝉の声は相変わらず五月蠅くて、でもそのけたたましい鳴き声が、二人の荒い息づかいをほかの誰にも聞こえないようにしてくれているように思えた。
「ひ、あっ……せんど、ぉ……いっちゃ、イく……」
「っ、……は、あ……」
 仙道の先端が三井の前立腺を擦る。奥まで達したそれがどくどくとゴム越しに遂情しているのを感じとった三井は、濡れた吐息を漏らした。
「ん……ぁ……」



 この時間が、永遠に続けばいいのに。
 冬なんて、卒業なんて、こなければいい。
 あの頃、世界の中心はお互いしか居ないのだと、盲目的に信じ込んでいた。







end