目を開けたら、見知らぬ天井だった――。
そんな、『トンネルを抜ければ雪国――以下略』と某エヴァンゲリオンを足して二で割ったみたいなセリフが脳内テロップで流れてきて、オレは自分自身で少しだけ笑った。いや、笑ってる場合じゃねえ事は分かってる。どこだ一体ここは。
無言のまま、まばたきを二、三回。それでも今見えてる景色は変わらない。ほっぺたをつねってみる。かなり痛い。……手加減すりゃよかったとおもうほどに。そのすべてが、今オレがみている『コレ』が現実なんだと思い知らされる。
本当にどこなんだだここ。
誰の家なんだよ!
あと無駄にベッドがでけぇ。
保健室っていうなら分かる。まあ大声でいいたくはねえけど、練習中にスタミナ切れでぶっ倒れたことは多々あるし、それならまだ分かるんだ。でも、それなら学校らしき部屋の、いかにも保健室です~っていう白いシーツと布団がかぶされてるはずだろ?このふっかふかのマットレスに、どうみても誰かの家ですっていう布団は、どうみても学校じゃない。
ってことは、オレもしかして学校の道中で倒れたわけ?それで、道端で倒れてたからどっかの優しい人が家で介抱してくれてるとか?それはそれですげえ申し訳ない。こんな180センチ超えのでけえ身体をどうやってここまで運んでこれたのかはわかんねえけど、まずはとにかくお礼とお詫びをしないといけないってのは分かる。
オレは起き上がると、下半身を布団にいれたまま、ぐるりとあたりを見回した。日本家屋……じゃないことは分かる。どっちかっていうと、海外ドラマで見たような室内。
こんな家、湘北の辺りに建ってたっけ?横浜駅近くの異人館なら分かるけど、湘北の校区内――いわば海沿いの住宅街みたいな所には、無かったはずだ。
まあ、そんなことは今オレが置かれてる状況と比べると微々たる事なので、オレの優秀な脳内処理の優先順位的には最下位においておく。
まずは、ここの家主を見つけることが最重要案件だ。
オレはそろり、とベッドを降りた。丁寧にスリッパまで置かれていたので、これ幸いと拝借することにする。綺麗に磨かれたフローリングを歩いて、扉まで向かう。扉の近くにはガラスケースが置かれていた。英語で、何て書いてるのか分かんねえけど、金銀、色んなトロフィーや盾が飾られている。
トロフィーはよく見たらバスケットボールがあしらわれているデザインのものもあった。それにしてもすごい量だ。こんなにバスケ関連で表彰されてる家主……もしかして、オレを助けてくれた家主って、バスケのすごい選手なんじゃねえのか!?
ふと、頭の中で合点がいく。そうだ、そうに決まってる。たぶんアメリカの2メートルくらいある選手に違いない。アメリカの大学のNCAAでMVPとか総なめにして、エリート道中突っ走ってNBA選手になってて、それでよく分かんねーけど何でか日本に来てて、倒れてたオレを拾ってくれたってワケかぁ?なるほどな……。さすがオレ、頭の回転が速すぎる。
その瞬間、フンフンと頷いていたオレの目の前で扉が開かれた。家主かもしれない。急いで寝癖を整える。NBAバスケ選手だぜ?寝ぼけ眼で会えるかよ!オレは高鳴る胸を押さえながら、ゆっくりと開く扉を見つめた。
その扉からぬっ……と現れたのはどうみても日本人だった。しかも、オレのよく知る……というか、お前……何でここに。
「流川ぁ……?」
オレの呆けた声が、部屋に情けなく響いた。え、どういうことだよ。
「気がついた?」
流川の労るような声に、はっと我に返る。ああそうか、オレだけじゃなくて、流川も一緒に道端で倒れたってことか?んで、流川のほうが先に目が覚めたってやつか……!なるほど、そういうことだな?
「なるほど分かったぜオレは。でもよお、オレ達一体どうしたらそんな一緒にぶっ倒れたりすんだろうな?お前と二ケツしてたチャリの運転中にお前が寝ちまって電柱か壁にでもぶつかったとか?」
「……?」
オレの問いかけに、流川は首をコテンとひねる。摩訶不思議そうな顔をされてもオレだって困る。でも、お前もここに居るってことは、そういうことだろ?
「……何言ってんのか全然わかんねー」
「はあ?いや分かるだろ!だってこんなでけえ家で誰かに介抱してもらってんだぜオレ達」
またしても流川が、何かとてつもなく奇妙なものを見るような目でオレを見つめてくる。え?何だよ。オレそんなに変なこと言ったか?オレの頭脳明晰な頭がはじき出した最適解なんだけど。
そんなことを思っている間にも、不可解な表情をしたまま流川は部屋に入ってきた。
オレがさっき驚いたトロフィーの棚にも何も反応することもない。普通こんなえげつない数のトロフィーあったらとりあず見るだろって思うけど、まあコイツに関してオレの『常識』が通じるのはバスケの試合中だけだったりするから、まあそれはどうでもいい。とりあえず家主を探す所からだ。
幸いにもコイツは部屋の外に居たみたいだし、もしかしたらもう家主に会ってるかもしれない。むしろ会って介抱してもらったお礼か何か言ってるから外に出たんだろうし。そう思って、近づいてきた流川に目線を合わせようとして、思わず一瞬言葉を失ってしまった。
「……え、あれ……?あの……ちょっと、おかしくね?」
「……何が?」
「いやお前……流川さあ……一気にデカくなってねえか?」
なんだコイツ、超絶成長期か?こいつの骨どうなってんだ!?一気に伸びるにしても限度あるだろ!
不本意ながら現状でも4センチの差があることは分かっている。伸び盛りの十五歳の身長が、ほぼ成長期が終わったオレとの差をどんどん広げていくことなんて想像の範囲内だ。
でもこれはどう考えても伸びすぎてる。自分自身の頭頂部に手を置いて、流川の方へほぼ平行に手をずらしていった。オレの頭頂部が流川の顎辺り……ってことは、ざっと目分量で計算しても190センチ以上はある。マジかよ、なんなんだこの世界。一体全体どうなってんだ?
「一気にはデカくなってねーっす。二十歳くらいまでで少しずつ伸びた」
「……は?」
流川、今……お前、『二十歳』って言った?
え?お前、十五歳のはずじゃ……なんでそんな未来みたいなことをいきなり言うんだ。ふと気づく。そういや、どう見ても目の前の男がクソ生意気な後輩の流川楓であることに違いは無いが、どこか大人びているような気がする。どう見ても高校一年生にはみえない。
顔つきも、体つきも……。発展途上だった身体は、がっしりと鍛えられているし、あの頃より肩幅も広くなっている気がする。いやまさか、そんなことはありえない。でも、それしかないんじゃ……。オレの頭が高速回転して答えをたたき出してくる。
「オレ、もしかして時空を飛び越えて未来に来ちまったのか……?」
「さっきから何言ってんの」
「いや、いきなりお前が大人になってるし、ココがどこだかわかんねーし……。もうそうなったら未来しかねえだろ?オレ、デロリアンに乗った記憶はねえけど、ここは未来なんだろ?そうなんだよな?オレ、十八歳のまま、お前が二十歳を越えた世界に来ちまってるって事だろ!?」
「デロリアンは過去に行く乗り物のはず」
「じゃあ逆デロリアンだな!?」
小学生の頃に見た、高速運転する車で過去にタイムリープする映画を思い出す。その逆バージョンにオレが、今なってるってことだよな?なあ、そうなんだよな??
もうそれ以外は考えられない。祈るように流川の顔を見つめると、流川は怪訝そうな顔をしたあと、ハッと何かに気づいたような表情を見せた。
「センパイ」
「……ンだよ」
「自分の年齢、十八歳って言った?」
「おう、高三に決まってんだろ」
「…………」
流川が口元に手を当てたままじっと固まってしまう。オレは答えを急かすように、流川の服の袖を掴んだ。
「なあ、何だってんだよ!」
「……センパイ、よくきいて」
流川が小さく深呼吸をするのを、オレはいぶかしげに見つめる。
「オレは今、二十五歳。センパイは、二十八歳」
「…………にじゅう、はち」
「そう」
「……おれ、が?」
「うす」
一瞬、何を言われたのか分からなかった。
オレが?二十八歳……?もうすぐ三十路ってことか……?いやいや、そんなまさか。まさか……いや、でも……。コイツがそんなくだらない嘘をつくわけがないのだ。
じっと黙り込んだオレを、流川が同じくじっと見つめている。
部屋の中が静寂に包まれる。そのまま数十秒。カチ、コチ……と秒針だけが鳴り響く中で、流川がそっとオレの手を掴んだ。安心させるように、手のひらを包まれる。……確かにちょっとはホッとするけど、コイツこんなにスキンシップが激しいやつだったか?という疑問が湧いたが、今はそんな些細なことを気にしている場合ではない。
「センパイ、大丈夫。たぶんちょっと頭打って、十年分の記憶が飛んでるだけ」
「十年分の、記憶……」
「そう。十年間の記憶が、一時的に無くなってるかも。さっきドクターにもそう言われた。可能性としてはあるって。一過性のものらしいから、少しずつ思い出していけばいい」
「あ、ああ……」
とりあえず頷くと、流川の口元が少しだけ緩んだ。あ、笑ってるコイツ。そんなことを思って、はたと気づく。オレ、コイツが笑ってるとか、なんで分かるんだ……?
その違和感を紛らわすように、オレは抱えていた疑問を次々とぶつけていくことにした。
「なあ、ちなみにこの家って誰の?」
「オレの家っす」
「お、お前の!?」
一つ目で予想外だ。まあでも、十年経って大人になってんだったら家くらいあるか。いや買えるのか?弱冠二十五歳で……?
「お前、今なにやってんの」
「アメリカでバスケやってる」
「……!そしたら、このトロフィーってまさか……!?」
こくん、と頷かれる。まじかよ、コイツ……本当にNBAに行きやがったんだ。すごすぎる……。あの頃から、日本にとどまるようなキャラじゃねえことは分かってたけど、本当に日本人でNBAプレイヤーが生まれたのかと思うと、胸が熱くなる。自慢の後輩じゃねえか。そりゃ一軒家なんか軽く買えちまうよな。
「そしたら今はオフシーズンか?日本に戻ってきてるってコトだよな」
「日本には戻ってない」
「でも、オレがここにいるってことは……」
「ここはアメリカ」
「あめ、りか……?」
「センパイも一緒にアメリカにきてる」
「オレも!?」
食い気味で返すと、またしても頷かれる。嘘だろ……オレ、英語とか中学レベルまでしか分かんねえんだけど!?
てか、なんで流川とアメリカ来てんだ?オレ。もしかして旅行か何かでホテル代わりに流川の家に泊まってるとか……?それは有り得る気がする。センパイ特権だとか言って。有り得る。
それはそうと、流川はさっきオレを安心させるために握った手を、いまだに離そうとしない。まあ、別にさわられててイヤな気はしないが、男同士の先輩後輩のスキンシップにしては、いささか長くないか?と思う。コイツもアメリカナイズされちまったってことなんだろうか。
そろそろ手を離してもいいぞ、と眼で訴えるように流川を見上げる。すると流川はオレの目線に気づいて、微かに眼を細めた。さらに両手をさすられるように握られる。
いや違う。オレはもう大丈夫だから離して欲しくて目線を送ったんだ……そうじゃない……ちがうんだ流川……!
この世にこうやって流川楓に手を握られ、至近距離で見つめられたい女がどれくらいいるんだろう。そいつらにやってやれ。そう内心で思いながら、オレは流川の指に金属のようなものが嵌められていることに気づいた。
黒みがかったシルバーであしらわれたそれは、パッと見たところだとアクセサリーのようにも見える。だがそれは、流川の長い指――左手の薬指にしっかりと嵌められていた。
エッ!?
まさか……こいつ結婚してんのか!?
この天上天下唯我独尊・恋愛なんて一ミリも興味ありません男が!??
オレの脳内で宇宙が弾け、ビックバンが起こった。……そのくらいの衝撃だ。だってあの流川だぜ!?コイツは世間体を気にして、人並みの人生のレールを歩くようなやつじゃ無い。それは十五歳のあの頃からだって想像できる。バスケットボールと結婚するならまだしも、だ。
そんな男が結婚……所帯持ち。十年でこうも人は変わるのか……。
「センパイ?どーしたんすか」
「いや、十年って長いよなって……。あとお前も人の子だったんだなって感動したんだよ」
「……?」
「おい、なにカマトトぶってんだよ。教えろよセンパイに!」
にやり、と意地の悪そうな顔をしてやる。それでも流川は要領を得ていないようで不思議そうな顔をしたままだ。おいおい、高校の時さんざん1on1付き合ってきた仲だろうが。お前の超希少な恋バナ聞かせろってんだ。
「お前、いつ結婚したんだ?!」
「……この指輪のこと?」
「おう!むしろそのことに決まってんだろお!?どんな奥さんもらったんだ?金髪美女か?日本から付き合ってるやつか?顔はどうなんだよ、どうせ美人なんだろ?お前がバスケ以外はボーッとしてっから、きっとしっかり者の美人妻なんだろな……お前、どうせ自分のやりたいことばっかやって、アメリカいくだのバスケするだのって、散々その奥さんに寂しい思いさせてきてんだろうし、そうやって籍まで入れたんだったら一生守っていって、優しくしてやんねえとダメだぞ!」
「前半何言ってるかわかんねーけど……寂しい思いは、させたかもしんないっす」
「やっぱりオレの言うとおりだな!」
「だからこそ、一生守るって決めたし、一生幸せにするって決めた」
手をより一層握られる。うんうん、奥さんのことを考えて力が入っちまってるんだな。カワイイやつめ。
あの流川が人並みに恋人の話をするようになるなんて、感無量すぎる。
そうか……流川が結婚かあ……オレもそろそろ身を固める年齢だし、イイ話とかあんのかな。まあ、記憶なくしてるから彼女のことすら覚えてねえんだけど。それにしても、流川が身を固めるとか……オレ達も、大人になったんだなあ……。
記憶の無い空白期間で、きっと色んなことがあったんだろう。その十年間を今忘れていることは若干寂しくもあるけれど、これから少しずつ思い出していけば良い。感慨に浸りながら、オレはしみじみと頷いた。
そういえば、まだ流川に手を握られたままなんだけど、これはいつ離してくれるんだろう。
奥さんの話しながら、ヤローの手を握りっぱなしってのも、なんだかおかしな話だ。さりげなくふりほどこうとして……いや、全然ふりほどけない。なんて握力してんだコイツ。いや、マジそろそろいいから手を離せってば。
「なあ、手ぇ、離さねえ?」
「……はなさねー」
「いやいや、もうオレ大丈夫だって。そんな心配すんなよ。じきに記憶も戻るんだろ?」
「それだけじゃねー。……一生守るって決めたし、一生幸せにするって決めたのにこんなことになってるし。一人にしてるとあぶなっかしくてたまんねーから、もうこの手は離したくねー……です」
「……?お前が大事にしなきゃいけねーのは奥さんだろ?」
「さっきからセンパイ、何言ってんの?」
「え?」
お前こそ何言ってんだ!一生守るのはお前が結婚した美人な奥さんだろうが!……てか、アレ?そもそもコイツが結婚してるってことは、ここは愛の巣……てことだよな?そんな愛の巣にオレ、アメリカに来たからってホテル代わりに泊まってるってことか?……いやぁ、それはあまりにも空気が読めなさすぎねえか?アラサーのオレ。オレの倫理観どうなってんだ。
そこまで考えて、オレははたと気づいた。そうだ、目が覚めてからずっとそうだ。何かコイツとの会話が少しだけ噛み合ってないのだ。……何かを見落としてる気がする。
ぐるぐると思考を巡らすオレの左手を、流川がこわれものをさわるかのような手で撫でる。
そのまま指先まで流川の指が伝い、薬指をきゅっとやさしくつままれる。くすぐったさに身をよじろうとして、オレは初めて自分の左手に、むしろつけていることなど忘れるほどに自然に嵌められている『モノ』に気づいた。
さっき流川の左手にあった色と同じ、黒みを帯びたシルバーのリング。
「コレって……」
……何でオレの手に?
いや考えるな。考えるなオレ。そんなわけないだろ、気づかないふりをしろ、オレ!
「オレの結婚相手は、センパイ」
「…………」
「オレとセンパイは、アメリカで結婚して一緒に暮らしてる」
「……………………」
オレの断末魔のような叫び声が家中に響き渡るのは、そのあとすぐのことだった。
end