「お、ま〜た白髪みっけ」
親指と人差し指で、やわく引っ張られた髪の毛の方向に顔を向ける。甘栗を煮詰めたような瞳を細めて笑うそのひとの目尻には、深い皺が刻まれている。白髪の数なんてどっこいどっこいじゃないかという言葉は、たわむれのようにかすめ取られた唇で帳消しにしてやった。
ティーンエイジャーの頃と変わらないようなキスをしかけて、悪戯が成功した子供のような顔をするのも、あの頃と何も変わらない。
「流川ぁ、お前……オレよりも老けるの早くねえ?」
「……自分の顔、鏡で見た方がいーすよ」
アンタも大概だ。そう言い返すと、それもそうかと三井は笑った。
流川は自分の髪をつまんでいた手を取り、自らの頬にその手のひらを沿わせるようにしてくっつけた。
現役を退いて長い月日が経っているにもかかわらず、三井の美しく長い指の爪は、今でも短く切りそろえられている。この短い爪で頬をくすぐられるのが、あの頃と変わらず今でも自分のお気に入りだ。
三井の爪のまるい山のような稜線を眺めて、指の先端に小さく口付ける。
人間っていうのは、人生の山を登る生き物なんだ。そう、この人は言った。
自分に見合う山を捜して、必死に登る。その頂上にあるしあわせの景色を見るために。
それは、三井の爪のようになだらかな山もあれば、途中で登るのを諦めそうになるほどの急な傾斜の山もあった。物理的に離れた時期もあるけれど、目指す人生の頂は同じだと信じて、二人で様々な山を乗り越えてきた。
誰とでも山の頂まで行けるわけでは無い。この人はそうも言った。
途中で置いて行かれることもあるだろうし、逆に置いていくことも、人生の中では有り得ることだろう、とも。
夢を追い求め、単身海を越えアメリカに渡る空港の搭乗口。慣れないプレップスクールでの集団生活。「オレも頑張るから」と気丈に振る舞い自分を励ましてくれた電話の最後、受話器越しに聞こえた、小さく鼻をすする音。初めての大怪我。長期療養とリハビリの日々。
そんな、流川が山に登る足を止めそうになったとき、いつだってこのひとが、後ろから背中を押してくれた。
誰かと手を取りあって眺める山頂の景色が、どれだけ綺麗なのかを教えてくれたのは、この人だった。
「……センパイ」
世界で一番愛おしい名前を。何百万回、何千万回と呼んだ名前を口ずさむ。
何だよ、と首を傾げてまばたきをする癖。考えるときに少し唇をとがらせる癖。木目のブラインドから差し込む夕陽。日光を浴びた生成りのシーツの香り。
「センパイ、すき」
「……しってる」
高校生のあの頃から、何度も何度も繰り返されたこの返し。そのすべてが織り重ねられて、今をつくる。
人生で自分が見つけたしあわせは、三井寿のかたちをしていた。
end