カエデ式NO.1証明理論

 最低最悪の試合だ。

 プラチナブロンドの髪先から汗が滴り落ちるのを忌々しく振り払い、デイヴィット・フォスターは大きく舌打ちをしてタオルをかぶった。

 スコールで泥だらけになった道端に捨てられているゴシップ誌にでもなったような気持ちだった。
 あまりにも納得がいかない。右コーナーからの同じシチュエーション。2回とも同じく肘で削りに来た相手の選手を自分は上手く躱したつもりだ。あれがオフェンスのチャージングになるなら、どんな悪質なディフェンスでも許されてしまうじゃないか。それを『軽く』指摘しただけでテクニカルファウルだと?あの審判はどうかしている。頭がおかしいとしか思えない! 

 コート上では、自分のテクニカルにより相手に与えられたフリースローが行われている最中だ。ヘッドコーチから早々に選手交代を告げられて、デイヴィットはベンチで肩を怒らせて座っている。

 横にはカエデが静かに試合の状況を眺めていた。自分のテクニカルで少し冷めきったアリーナの観客の空気。そんな空気の中でも、飄々とした相手のチームのPGが悠々とフリースローを成功している。憎らしいくらいの落ち着きようだ。クソ、どうしてこんなことに。
 ディヴィットは拳を握りしめた手で膝頭をゴン、と殴った。

「……デイヴィ」

 先程まで黙っていたカエデが、目線をちらりと向けてくる。握りしめた拳の上から、やんわりと手を重ねられる。

「膝、叩いちゃダメ。膝は大事」
「…………」

 窘められて、内心は自分が悪いと思っているのに、どうしても非を認められない。じっと黙ったままの自分に、カエデはスポドリの入ったスクイーズボトルを差し出してくれる。
 自分のボトルに、昨日冗談でカエデに描かせたネコのラクガキが見えた。どう見ても世紀末の狂乱のさなかにいるおぞましい生物にしか見えないソレを見て、思わず吹き出してしまう。
 ふぅ、と怒り狂っていた肩から力が抜けた。

「……サンクス、カエデ」
「どーいたしまして」

 こんな時でも、カエデは冷静だ。今日のクセのある審判に悩まされているのは、自分だけじゃない。カエデだって、1Qのうちに2つもチャージングを取られてベンチに下がらせられている。普段よりも格段にプレータイムを削られているのはカエデだって一緒だ。
 同じくらい、カエデだって憤っていていいはず。それなのに、自分と比べてこの冷静さは一体何なのだろう。いつのまにか、ファウルコールの怒りから、カエデの冷静沈着さへの興味関心に意識が移っていた。
 

「カエデはさ、今日の審判にイラッとしたりしないのか?」
「……やたらとチャージング取ってくるひと?」
「そう!」

 鼻息荒く頷く。カエデもイラついてるだろ?そうだよな?そう期待を込めた目線をうけて、カエデは切れ長の瞳をぱちぱちと何度かまたたたかせた。

「しょーじき、イラついてねーといえばウソになる」
「だろ!?」
「でも、オレはコイビトと約束したからオモテにはださねー」
「……約束?」

 カエデの口からpromiseなんてロマンチックな言葉が飛び出すなんて思ってもみなくて、思わず聞き返してしまう。カエデがこくん、と首を縦に振った。

「コイビト……って、あの『センパイ』と?」
「うん」

 今でも鮮明に思い出せる、ルンバの『ヒサシ』救出事件。
 カエデのパートナーが一大事だとチーム全員が思い込んで、愛車のBMWをかっ飛ばした珍事件を、自分は一生忘れないだろう。あんなに豪快にハンドルを切ったことは過去にも先にもあれしかない。『ワイルドスピード』シリーズの主人公になった気分だった。

「その『センパイ』に何言われたんだ?」
「……オレがハイスクールの頃」

 カエデが、目の前の試合を見ながらもふっと表情をやわらかくする。きっとセンパイのことを思い出しているんだろうな。カエデのこういう姿を見るたびに、パートナーがいることをこっそり羨ましく思ってしまう。

「オレが高2で、センパイが大学1年生だった。センパイは自分の部活が休みで、試合を見に来てくれてた。それは春の新人戦みたいな小さな大会の試合だった。あっちの戦術的に、オレをつぶしにかかってきてるのは自分でも分かってた。ディフェンスが二人がかりで来るのは全然よかった。でも、どう見てもあっちが押してきてるのに、オレばっかりチャージングをとられることが連続で続いた」

 カエデがそこで言葉を切り、パンパンと手を叩いた。どうやら味方がタフショットを決めたらしい。自分もあわててガッツポーズをしてチームメイトを鼓舞する。自分がイライラして実質退場になった代わりに、皆が頑張ってくれているのだ。
 カエデが続ける。

「学生だったし審判に文句はさすがに言わねーけど、それでもムシャクシャしてた。たぶん、顔にも出てた。試合の最後まで、プレーもパッとしねー感じで終わった。そのあと、センパイに怒られた」
「何て言われたんだ?」
「……『今日のお前、すげー格好悪かったぞ』って」
「oh……」

 恋人からの『格好悪い』の一言。それはティーンエイジャーだったカエデにとって、かなりのヘビーなパンチに違いなかった。デイヴィットは、内心でこっそりと十代のカエデにアーメン、と祈った。

「でも、センパイは、ファウルとられたのが格好悪いって言ってるんじゃない、って言ってから、オレに『自分でも分かってんだろ?』て聞いてきた。……オレは、わからないフリをしたかったけど、ホントは分かってた」
「…………」

 その時のカエデの気持ちは、今の自分と同じだとデイヴィットは察した。自分がカッとなったり、不機嫌になったり、それを認められないのが一番格好悪いのだ。
 まさに、今の自分がそう。不可解な笛で戸惑っているのは誰だって同じ。それなのに自分は子供みたいに癇癪を起こし、結果的に味方のチームメイトに迷惑をかけている。申し訳ない気持ちが、目の前のコートを駆け巡っている全員に対して湧いて溢れてくる。

「その時に、センパイと約束した。『オレが実際に試合会場に居ても居なくても、コートに立ってるお前は世界で一番格好良くて、強くて、最高のオレの彼氏なんだってのを証明する気持ちでやれ』っていわれた。その日から、その約束を絶対に守るって決めた」
「……すごいな、『センパイ』は……」

 恋人にそんなことを言われて、燃えない男がこの世に居るだろうか。ルンバ事件の時も思ったけれど、あらためて、カエデのパートナーである『センパイ』の張本人に会ってこの目で見たくなってくる。

「だからオレは、コートに立ってる限り、センパイの言う『世界一格好いい男』であり続けるし、それをセンパイだけじゃなく、全世界に証明し続ける。センパイが自信満々に『こいつがオレの彼氏なんだぜ』って言ってもらえるような男であり続けたいから」
「……すごいな、カエデも……」
「?そう??」

 カエデが首をかしげる。無意識な所が逆にすごい。そのティーンエイジャーの時にした約束を未だに守り続けているカエデ。遠くてもカエデのその姿を応援し続けて「最高のカレシ」だと言ってくれる『センパイ』。
 誰がどう見ても、最強のパートナー同士だ。

 ピピッと選手交代の笛が鳴る。右端にいるヘッドコーチがカエデを手招きしているのが見えた。

「カエデ、出番だぞ」

 ぺし、と軽く太ももをはたくと、長袖のジャージを脱いで、カエデが立ち上がった。

「……今日も、オレが一番コートで格好いい男になってくる」
「ああ!『センパイ』もきっと見てるぞ!」

 こくり。頷いたカエデの、唇の端が少しだけ上がる。
 艶やかな黒髪を揺らしながらコートサイドに立ち、腕の黒いリストバンドを調整しているその後ろ姿は『センパイ』曰く、『世界で一番格好良くて強くて最高のオレの彼氏』に違いない。日本のどこかでこの配信を見ているであろうカエデのシュガーに向けて、デイヴィットは小さく笑った。









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