コンクリート造りの大きな箱のような会場に所狭しと並べられた長机は、まるで何かの儀式のように整然と置かれている。
その机の上には何か薄いパンフレットのようなものが置かれているようだ。机の後ろには、B2サイズほどのカラーポスターが置かれている。まるでプロが作ったような出来栄えのそれらはポップな絵柄であるはずなのに、それが、どうしても……三井には嫌な予感を感じさせるのであった。
「……なあ、流川」
へんじはない。ただのしかばねのようだ……ではなく、隣でピンピンしている男の脇腹を、三井は肘でぐぐっと突いてやった。
「流川!聞いてんのかよ!」
「……何?」
流川は、涼しい顔でこちらを一瞥した後、また手元にある何かの冊子を覗き込んでしまった。それは先程、入り口でチケット?らしきものを買った(流川が二人分買って無言で渡してきた)際に渡されたものだが、三井にとってはそれが何を意味をするなんて全く分からない代物だった。
だが、流川はそれを一心不乱に読みふけっている。赤点補習対策で勉強合宿があったあの時の5000倍は真剣な様子に、より一層不安感がつのる。
流川楓が本を熟読しているなんて、明日世界が終わってしまうのかもしれない。世界が終わるまでは……『大都会に僕はもう一人で投げ捨てられた空き缶のよう』……ではなく、ここはお台場にほど近い大都会ではあるが、三井は一人ではない。だが、投げ捨てられた空き缶のように隣の男に放っておかれているのは事実であった。
「いい加減言えって。なあ……何のためにこんなとこ来たんだよ。つかお前は何をそんな必死に読んでんだよ……オレ、お前が真面目に本読んだりしてんの見ると明日天変地異で地球終わるのかと思っちまうだろ」
「それは失礼すぎ」
「ノストラなんとかの大予言みたいな」
「結局それも世界終わらなかったから大丈夫」
「まあそうだけどよ……じゃ、なくて!だから何の目的でこんな所……」
「センパイも若干は分かってるんじゃないすか?」
「は?分かってなんか……」
三井は再び周りをぐるりと見渡す。
目に入ってくる大きなポスターは、先程記述したそれだが、まるでプロの漫画家かと思うほど上手く描かれている……と思う。あまり芸術には聡くないので、なんとなくぼんやりと、だが。その絵自体は素晴らしい。ただ、そのポスターに描かれている二人は何故か男同士で、親密に腰を寄せ合っていたり、唇を触れ合わせていたりする。
それはまあ、いいのだ。三井とて、同性愛というものがこの世界にあることも理解しているし、性的嗜好の多様性があることをわざわざ非難したりはしない。好きになったものがたまたま同性であった……という可能性もあるだろう。
問題はそこではないのだ。
「…………」
そう、問題は、別のところにある。
気になる……というか、気になるけれども聞いてはいけないような気がしているのは、そのポスターに描かれている二人が着ているユニフォームが、赤色の……なんとなく見覚えのある……いや、見覚えのありすぎる、我らが母校――神奈川県立湘北高校バスケットボール部のユニフォームとそっくりなのだ。
そして、相手側の男を抱き寄せている身長の高い男が着ている背番号は11番だった。よく見ると、仏頂面の表情といい、それなのにおそろしいくらいに顔面が整っている風貌だとか、……どことなく、流川に似ているのだ。
そしてさらに三井を混乱させていたのは、その腰を抱きかかえられている身長の低い男の方――……。黒く焦がしたキャラメル色の短髪を背番号11の肩にすり寄せ、鼈甲色の瞳を蕩かせている……その男の背番号は14番。懐かしい、あの一瞬で過ぎ去った高校三年生の自分が身に纏っていた番号でもある。
いや、違うと思いたい。認めたくない!でもこの風貌は……この背番号14は……この……流川に似ている男に腰を抱かれている男は……。
「あのポスター、センパイが可愛くかけてる」
「いやオレが葛藤してたことさらりと言うな!!!!」
認めたくない、断じて認めたくなかったのだが……腰を抱かれたり、唇を触れ合わせていたり、肩を組んで頬を染めているのは……どうみても自分と流川……だったのだった。
自分達が描かれている事は分かったが、未だにここは何のための会場なのかはっきりと分からない。混乱した三井は流川に連れられるまま、並べられている机の方へと近づいていく。
その机の上は、どうやら市場のような形で、何かを売っているようだった。僅かに列ができている所もある。訳も分からず流川に連れられるがまま、三井はその最後尾に並ばされた。
「……なあ、コレ……何の列なんだよ」
「本を買うための列」
「本……」
やっと自分でも理解できる単語が出てきて、三井は小さく安堵の溜息をついた。
流川はさっきから訳の分からない単語ばかりを口にしていたのだ。「カベサークル」「タンジョウビセキ」「シマナカ」……なんの呪文なんだと思ったけれど、それは聞かなかったことにしておこう。とりあえず、この列の先頭では、本が売られているらしい。
それにしても、何も言わず黙って最後尾に並んでいる流川の姿が普段の眠そうな表情と打って変わって凛としているのが本当に不思議だ。こんな顔は試合中しか見れないと思っていただけに、今日は本当に珍しいことが起こるなと思う。
わざわざ神奈川から東京まで来て、お台場を華麗にスルーしてこんな場所に本を買いに来る理由は何なのだろう。
前に並んでいた人達がお目当てのものを買ったのだろう、列からはけていく。一番先頭になった三井は、やっと机に並んでいる本を見ることが出来――……声にならない悲鳴を上げた。
「―――――ッ?!」
口をぱくぱくさせている三井など構いもせずに、流川は机に並んでいるそれを一瞥したあと、まさに数秒で何かを決めたらしい。人差し指を走らせる。
「今日の新刊と、これを一冊、あとこっちも一冊」
『ありがとうございます!ノベルティのバッグは付けても大丈夫ですか?』
「おねがいします」
ノベルティ?のバッグに入れられていくその薄い本たちを見つめて、三井はようやく口を開くことが出来た。
「おい、流川。これって……」
机に並べられていたものは、さっきのポスターで見た絵が表紙になった本だ。自分……らしきユニフォームを着た男が流川らしき男に腰を抱き寄せられているもので、やたら凛々しく格好良さ五割増しで描かれているのは流川で、頬を染めているのは……自分……らしき男で、表紙には『部室のいけない秘め事♡』と書かれていて、そのタイトルの下には『成人指定』って書いてあって……。
これは……何だ…………?
壮大なドッキリなのか?自分が驚いたら宮城あたりが「三井サンお疲れさまっす(笑)」みたいに看板持って出てくるのだろうか?花道がカメラマンなのか?流川が仕掛け人なんだよな?なあそうだよな?そうだと言ってくれ!もうオレ驚いてるから!ずいぶん前からずっと驚いてっから!!
三井のそんな思いもむなしく、流川がその本を売っている女性に小さく会釈のようなお辞儀をすると、すたすたと先に歩いて行ってしまう。
「お、おい!」
「ぼーっとしてないで。まだ行くとこあるから」
黙っていたら超絶美形な、そんな男の肩にかかっている可愛らしい不織布のバッグは、視覚的な暴力といえるんじゃないだろうか。こんな姿、流川親衛隊が見たら泣くぞ……。
いまだに混乱して思考回路はショート寸前ではあるものの、流川はそんな自分を待ってはくれない。何が起こっているのか全く分からないけれど、ここに置き去りにされるよりは流川に付いて行った方が良い気がする。早足で流川に駆け寄った、その時だった。
自分達の近くで、黄色い悲鳴があがる。
「キャー!すごい、めちゃくちゃ流三そっくりなレイヤーさん居るよ!!」
「え、どこ?!うわーーすご!!クオリティすごいよねヤバイ!」
「ヤバいよね尊すぎ……一緒に並んで仲良く流三本買ってるんだけど超かわい……♡」
「わかる!!いま流川くんに置いて行かれそうになって今ちょこっと駆け足だったの良すぎた……」
「わかりみ……なんだかんだ強引でワガママな後輩だけどしょうがねえなってカンジが出てて……夜もきっとオレがよくしてやるからって先輩面して…」
「アッ……それ最&高……」
黄色い声がしたほうへ振り向くと、何人かのうら若き女性達がこちらを見てそっと手を合わせている。あれは拝んでいる……のだろうか?
何なんだこれは、自分達はいつから信仰の対象になったのだろうか。
三井は流川に追いついて、ひそひそと耳打ちした。
「なあ……さっきなんかオレ達拝まれてたぞ?」
「よくあること」
しれっと返されて、三井は一瞬頷きそうになる。
あーよくあることね、わかるわかる……って、ねえから!!!
「全然よくあることじゃねーぞ!」
「ちなみに、こうやったらもっと凄いことになる……と思う」
流川が急に三井の腰を抱き寄せる。バランスを崩した三井は咄嗟に流川の身体にぽすんと体重を預けることになり、まさにさっき目にした、あの表紙のような体勢にされてしまう。
三井が流川に文句を言おうと口を開いたのと、彼女たちの悲鳴は同時だった。
「ギャーーーー!!流三だーーーー!!!?」
「ありがとうございます!ありがとうございます!!!」
「あーーーなんでここ撮影OKゾーンじゃないんだ!!」
「心のファインダ―におさめよ!!!!これだけであと一か月は生きれるから!!!」
すさまじい歓声とものすごい数の女性に囲まれ、身動きが出来なくなってしまう。
彼女たちの目は爛々と輝いていて、自分たちの一挙一動を舐めつくすが如く見られている。……この状況、山王工業と試合した時よりも恐怖感が凄い。
どういうことなんだ。囲まれているのは女性のはずなのに、この圧力は一体……。
「る、流川、……これどーすんだよ…」
「…………」
「流川?なあ、どうしたんだよ、るk……」
「センパイ、腰が痛い?……昨日の夜、無理させたから」
「……ハ????」
三井の言葉を遮るように、流川がいきなり甘い声色でそんなことを言ってくる。……コイツ、バスケしすぎて頭おかしくなったのかもしれない。昨日の夜は二人で普通に部屋でNBA見てただけだぞ……?
三井が訳のわからない返しをされて呆けていると、いつのまにか周りにいた女性陣たちが崩れ落ちて息絶えていた。
…………え、なにこれ。
これこそ、へんじがない ただのしかばねのようだ 状態かもしれない。
いやそうじゃなくて、だから、だからこの状態は……
「一体何なんだよ―――!!!!!!」
混乱した三井の大絶叫は、しばらくビックサイトの会場を震わせていたのだった。
END